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あらすじ
ウチの親って、絶対になんか変! と思っているあなたに贈る究極の毒親物語。私にとって、人生最大の悩みは両親でした……何気ない一言に浴びせられた罵倒、身に覚えのない行為への叱責、愛情のかけらもない無視、意味不明の身体接触。少女の頃から家庭で受けつづけた謎の仕打ちの理由を、両親を亡くした今こそ知りたい。驚愕の体験談を投稿の形で問いかけ、毒親から解放される道を示唆する「相談小説」。

 

ひと言
他の人の読書レビューを参考に、読んでみようと思って借りました。この本の最後に「本書の「投稿」はすべて事実に基づいています……」という言葉にドキッとしました。靴に刺さった釘、倒れてスイッチが入ったラジオがあってほんとうによかった。

 

 

集客力・視聴率は「いやに、より多くの人を躓(つまず)かせない状態におけるか」にかかっています。より多くの人が躓かずに眺めていられるものほど数字がとれる。幕が上がり(物語りが始まり)、「彼女の父は厳しかった」という短いナレーションのあとに、たとえば幸田露伴が登場すれば、多くの人は躓かない。しかし高田純次が登場したら? 躓くのではないでしょうか。多くの人は、いったん躓くと、開幕後の舞台はろくに見ず、ミスキャストではないかというアラ探しに興じはじめる。こうなってしまうと、取るに足らぬアラにも騒いで舞台からそっぽ向く。人気は出ない。数字を稼げない。長年にわたり多くの数字を稼いできたヴィジョン、あくまでも数字を稼ぐヴィジョンであるだけなのに、現実のすべての家族のサムネイルと化して、多くの人に誤解を与え続けているのではないでしょうか。厳しいお父さん。厳しいお母さん。厳しい家。
(初めての一等賞)

 

 

ほかにもいろいろと考えた末に、やはり「毒親」だと至リました。辰造氏も敷子氏も、各々の個性をもった一個人であり、各々の個性から最大限に、子を養う義務を遂行してくれたことに対するあなたの謝意。それは投稿から感じます。あなたが大人だから抱けるものです。……。ですが、やはり「毒親」ではないかと。なぜなら、この語は現時点で、もっとも普及しているからです。
早春の時期に鼻みずとくしゃみがとまらなくなる人が、以前からいた。なのに以前は「花粉症」という「ひとこと」がなかった。そのため「季節はずれの風邪」と誤診されたり、「いまごろ風邪をひく馬鹿」などと言われることがあった。症状の度合いは各々ちがっても、ともかくは「花粉症」という「ひとこと」が普及したことによって、コミュニケーションとして、ものすごくラクになった人は大勢いると思うのです。
(初めての一等賞)

 

 

高校二年のある夜。これまでの投稿と同じような、まったく意味不明の叱責を受けた私はカーッとなりました。夜更け。カーッとなった私は、台所からよく切れる刺身包丁を二本取り出し、食堂のテーブルに置きました。人を刺したり切ったりすると脂が刃に絡みついて切れなくなる、一人を殺すのが限界である、と何かで読んでいたので二本用意したのです。殺す。思いました。カーッとした私が真剣であったのは、裸足やスワッパではなく玄関に脱いでいた下靴に履きかえ、土足だったことにあらわれています。殺したあと逃げるためにです。この点では殺人未遂です。どう逃げるのか、何を持って逃げるのか何も考えていなかったので、この点では瞬間的な発火です。辰造の部屋のほうが食堂から近かったので、一本を持って暗闇の中を歩き出しました。ゴキブリが数匹、わらわらっと壁を動くのを満月が照らしましたが、虫など気にならぬほど感情が発火していました。
ところがズキッとする痛みが拇指球を走った。ゴミを捨てないわが家です。壊れかけた木箱が無造作に置いたままになっていたのを踏んだのです。釘が出ていました。履いていた下靴が、毎日通学に使っていた帆布の安物のスリップオンだったのでソールも薄っペらく、かんたんに釘が突き抜けたのです。(この靴、逃げられない。もっと走りやすい靴に履きかえて来なければ)カーッとなった状態ですから、咄嵯に考えたのはこんなことです。包丁を持ったまま、自分の部屋にもどり、体育の時間に使う陸上競技用の運動靴の入った袋を机のそばで手さぐりで探しました。「殺してやる」という衝動(錯乱)が、「電灯をつけてはいけない」と思わせていました。月明かりの部屋で袋を引っ張った。袋がラジオを倒した。現在のようなスマートなデザインではなく、小さなチップを上下させるスイッチのついたラジオは、倒れたはずみでスイッチが入った。これが私を正気にもどしました。
まず、人の声にとびあがるほどびっくりしました。びっくりしたのが気付薬を嗅がされたに似た効果とでもいうか、ハッとしました。他の部屋に洩れないよう、いつも小さな音量で聞いていたので、スイッチが入っても大音量だったわけではありません。道路の名前、ジャンクションの名前、渋滞時間などが静かにアナウンスされただけです。「交通情報でした」というやさしい女声のあと、ニュースを読む男声。短いニュースでした。「逮捕」「警察」という単語は、私を正気にもどしました。これはどの錯乱の直後ですから、道徳的に正気にもどったのではない。(あんなやつらのために牢屋に入ったら損だ)そう思ったのです。これまであんなに我慢してふりをしてきたのが水の泡になってしまうと。阿漕な沈着です。現実社会を何一つ知らない少年のエゴイズムです。
薄っペらソールを突き抜けた釘、ラジオの深夜ニュースという偶然が、私を救ってくれました。本当に救ってくれた。この日以降は、頭にカーッと血が昇ることはなく、登校前、学校から帰ってきたとき、夕食の支度をするとき、風呂から出たとき等々、日常生活のはしばしで、応接室を通過するたびに、私はピアノの上のねじ巻き式の時計を見つめました。
(緻密な脱出)