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あらすじ
想いがつらなり響く時、昨日と違う明日が待っている!児童養護施設を舞台に繰り広げられるドラマティック長篇。諦める前に、踏み出せ。思い込みの壁を打ち砕け!児童養護施設に転職した元営業マンの三田村慎平はやる気は人一倍ある新任職員。愛想はないが涙もろい三年目の和泉和恵や、理論派の熱血ベテラン猪股吉行、“問題のない子供”谷村奏子、大人より大人びている17歳の平田久志に囲まれて繰り広げられるドラマティック長篇。

 

ひと言
付箋を貼りながら読んで、読み終わったときには20個ほどにもなってしまい、どの部分をこのブログに残そうか迷わされました。
いつものことながら有川さんの本は読了感がすごく良くて、読者を元気づけ爽やかな気持ちにしてくれます。得意な自衛隊ネタもぶっこんできて、アッコちゃんには泣かされるし、ラブコメとまでは言えないけど奏子と久志、和泉と三田村もすごくよかったです。極めつけはハヤブサタロウ。
有川さん、あんたやっぱり最高だよ。いい本を読ませてもらいました。ありがとうございました。

 

 

 

「他の先生は、わたしたちのことかわいそうな子供なんて言わない!」
叩きつけるような声に、自分の言葉が一気に巻き戻った。――初日、洗濯物を畳みながら。初めて会った奏子に、志望動機を話した。……。親に捨てられた子があんなに懐くなんて。実の親に裏切られてるのに、赤の他人とあんな関係が作れるなんて。素直な感想を分かち合いたくて訴えた。俺もあんなふうにかわいそうな子供の支えになれたらなあって。――それは奏子の耳にはどう響いたのか。こう響いたのだと遅ればせながら思い知る。
「施設のこと知りもしない奴に、どうしてかわいそうなんて哀れまれなきやいけないの!?――どうして、」奏子が言葉を切った。言葉が見つからないのではなく、言葉が溢れすぎて却ってつっかえたのだと分かった。
「かわいそうな子供に優しくしたいって自己満足にわたしたちが付き合わなきゃいけないの!? わたしたちはここで普通に暮らしてるだけなのに!わたしたちにとって、施設がどういう場所かも知らないくせに!」その普通がかわいそうだと思うのは悪いことなのだろうか。同じ年頃の子供が親にわがままを言いながら気ままに暮らしているのに、規則だらけの施設で窮屈に暮らさなければならないことは、やはり恵まれていないように思える。……。
「施設のおかげで普通に生活ができるの。そりゃ、規則とかいろいろあるけど、それは施設なんだから仕方のないことでしょ。普通の家だって門限とか家の決まりはあるだろうし、携帯禁止の親だっているだろうし。規則とか集団生活とかめんどくさいなあって思うときもあるけど、前の生活に戻りたいなんて思わない。施設に不満のある子もいるだろうけど、わたしは施設に入れてよかった。施設に入れなかったらと思うと……」ぞっとする、と最後に小さく呟いた。
「……ごめん。俺、考えが足りなくて」奏子にとって施設に入れたことは幸運なのだ。施設のことをよく知りもしない新参者が勝手な思い込みでその幸運を哀れむなど、一体何様になったつもりだったのか。「それと、ありがとう」は? と奏子が怪訝な顔をした。「カナちゃんが教えてくれなかったら、勘違いしたままで他の子供たちにも接するところだった。ありがとう」奏子は拍子抜けしたような顔で横を向いた。三田村の手の中から、摑んでいた温みがそっと抜け出した。まだその手にすがっていたのだと温みが去ってから気がついた。
(1 明日の子供たち)

 

 

 

「必要なものしか存在しない人生って味気ないでしょう」ふっと心に風が吹き抜けたような心地になった。
(4 帰れる場所)

 

 

わたしと彼と、どう世界が違ったのか知りたくて――猪俣に志望動機をそう語った。「世界に、違いはないんだよ」猪俣に打ち明けたことがあるから、今言える。「世界にいろんな人がいて、いろんな事情があるってことを、わたしが知らなかっただけ」両親と死別したわけではないのに施設に入っている渡会の事情を、「気にしない」と言って恋が破れた。自分と違う事情を持っていることを、もし「分かった」と言っていたら。分かった、でも好き。そう言っていたら。そう言っていたとしても、きっと恋は破れた。高校生同士で出会った渡会と和泉では、最初から手に余る恋だったのだ。
 猪俣先生。――あなたは一体何て正しい、「さっき、嘘ついた」え、と首を傾げた渡会に言葉を続ける。「渡会くんのことがあったから、施設の職員を目指したの」渡会は、それはそれは嬉しそうに笑った。その日の食事は奢ってくれた。晴れ晴れとした笑顔を見送った。
普通の家の子で、施設の職員で、和泉に似ている渡会の恋人と、違っていたのはきっと出会うタイミングだけだ。出会う順番が違っていたら、きっと和泉の恋が叶っていた。――そう思うくらいは、許されるだろうか。感謝して、と見たこともない渡会の恋人に呟く。あなたの恋が叶ったのは、わたしが礎になったからよ。鼻の奥がツンとしたが、泣いてたまるものかと前を睨みつけて歩いた。
(5 明日の大人たち)

 

 

親と一緒に暮らせないなんてかわいそうに。――親と一緒に暮らすことが幸せだとは限らない。結婚していても幸せだとは限らないように。施設に入ったことで落ち着いて暮らせるようになる子供は大勢いる。
子供たちを傷つけるのは親と一緒に暮らせないことよりも、親と一緒に暮らせないことを欠損と見なす風潮だ。子供は親を選べない。自分ではどうにもならないことで欠損を抱えた者として腫れ物のように扱われる、そのことに子供たちは傷つくのだ。
(5 明日の大人たち)

 

 

「『日だまり』だけではなく、児童養護関係の施設は常に予算が不足しています。『あしたの家』の先生に訊いたら、児童養護の当事者には社会的な発言権、つまり選挙権がないから、後回しにされやすいと言われました。だから、児童福祉の中でも児童養護はエアポケットに落ちてしまいやすいんだ、と」今まで見聞きしたこと、話したこと全部が奏子の中で咀嚼され、奏子の言葉として出てくる。
「確かに、わたしたちは今は子供です。選挙権もないし、政治家の方は優先しても仕方がないと思われるかもしれません。でも、わたしたちは、生きていればいつか必ず大人になるんです」届け。響け。穿て。――こんなにがむしゃらに祈ったことは今までの人生で一度もない。壇上の奏子の姿がかすんで、三田村は自分が涙ぐんでいることに気づいた。
「『あしたの家』の子供たちは、明日の大人たちです」強固な思い込みの壁にひびが、
「児童養護施設の子供たちは、みんなそうです」砕けるか。「明日、社会に参加するわたしたちのために、養護施設の重要性や『日だまり』の必要性を理解していただけないでしょうか」話し終え、一瞬の静寂。――そして、万雷の拍手。―――砕いた。
(5 明日の大人たち)

 

 

「もっとたくさんの人に、カナの言葉が届かないかな」「今日よりも大きな会で喋るの?」「そうじゃなくて」例えばだけど、と久志は口の中で言葉を転がした。「………誰か、有名な作家さんに手紙を書いて、施設や『日だまり』のこと本に書いてもらったりとかさ」まるで、地面から風が吹き上がるような、思い込みの壁が砕けた向こうへ、
「……そしたら、日本中の人に読んでもらえるね」飛んでいけ。「誰に書いてもらったらいいか、考えたんだけどさ」「そんなの」奏子は遮った。
「そんなの、ハヤブサタロウの作者しかいないでしょ」「だよな!」
(5 明日の大人たち)