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あらすじ
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない――。虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていくのだった。社会を震撼させた乳幼児虐待事件と家族であることの光と闇に迫る心理サスペンス。

 

ひと言
これぞ角田光代というような本でした。日々の子育てで 追い込まれていく母親の心理を怖いほどに淡々と描いて、多くの女性が自分と里沙子や水穂を重ね、ゾッとしているのが伝わってくるようでした。
里沙子が裁判員ではなく、補充裁判員とした設定の、角田さんの意図が少し気になりました。
それにしても裁判員裁判の趣旨はある程度理解できなくもないが、もし自分が裁判員裁判に選ばれたら絶対に断るか、どういう罪になるのかわからないけど呼び出しを無視しようと思いました。(こんなこと書いてもええのかなぁ(汗)…)

 

 

長い時間のおすおり。まわりの子はまだだけれど、パッ、マーと言うことができる。水穂はきっと、育児書を読みふけり、出かける機会があればまわりの赤ん坊たちをじっくりと観察していたのだろう。この月齢では寝返りができて、自分のところよりちいさい子がもうはいはいしている……。里沙子にはその気持ちがよくわかった。どうしてあのとき、そんなことは意味がないとわかっていながら、まわりと比べることをやめることができなかったんだろう。あの子よりお行儀がいいと優越感を感じ、あの子より体重が軽いと劣等感に苛まれたのだろう。今だって完全に周囲を気にしないなんてことはないけれど、あのときは異常だった。そして不安のひとつひとつを、当然のことながら自分の母親になんて言えるはずがなかった。様子を見にこられたらいやだからじゃない、できていないと指摘されるのがいやだったからだ。里沙子はその思いつきにはっとする。そうだ、きっとそうだ。水穂も、あの母親にだめだと断じられるのがいやだったのに違いない。だから、…。
(公判六日目)

 

 

そもそも、赤ん坊を自分で傷つけ、それを妻のせいにする、そんな男などいるはずがない。みんなそう思っている。第一そんなことをする理由がない。目的もない。意味もない。あの人たちは―……。―理解するはずがない。ただ相手を痛めつけるためだけに、平気で、理由も意味もないことのできる人間がいると、わかろうはずがない。相手といったって、恨みのある相手でもなければ、何かの敵でもない。ごく身近な、憎んでもいない、触れあう距離に眠るだれかを、自分よりそもそも弱いとわかっているだれかを、痛めつけおとしめずにはいられない、そういう人がいるなんてこと。
笑いがこみ上げてくる。そうか。そうだったのか。
(公判八日目)

 

 

憎しみではない、愛だ。相手をおとしめ、傷つけ、そうすることで、自分の腕から出ていかないようにする。愛しているから。それがあの母親の、娘の愛しかただった。それなら、陽一郎もそうなのかもしれない。意味もなく、目的もなく、いつのまにか抱いていた憎しみだけで妻をおとしめ、傷つけていたわけではない。陽一郎もまた、そういう愛しかたしか知らないのだ――。 そう考えると、この数日のうちにわき上がった疑問のつじつまが合っていく。陽一郎は不安だったのだろう。自分の知らない世界に妻が出ていって、自分にはない知識を得て、自分の知らない言葉を話しはじめ、そして、一家のあるじが今まで思っていたほどには立派でもなく頼れるわけでもないと気づいてしまうことが、不安だったのだろう。裁判というものが、彼にとってそれほどの脅威を持ったものだったのに違いない。気づいてみれば、こんなにかんたんなことになぜ今まで気づかなかったのか、と思いかけ、問うべくもなく里沙子の内にすぐに答えは浮かぶ。考えることを放棄していたからだ。
(評議)