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あらすじ
小説家のもとに、少年から謎の手紙が届く。「僕たちはゼツメツしてしまいます」少年2人、少女1人、生き延びるための旅が始まる―僕たちをセンセイの書いた『物語』の中に隠してほしいのです。ゼツメツ少年からの手紙は届きつづける。でも、彼らはいま、どこにいるのか。「大事なのは想像力です」手紙は繰り返す。やがて、ゼツメツ少年は、不思議な人物と次々に出会う。エミさん。ツカちゃん。ナイフさん。このひとたちは、いったい、誰―?これは物語なのか、現実なのか。全ての親と子に捧げる、再生と救済の最新長編。

 

ひと言
11月1日、名古屋市西区の市営地下鉄鶴舞線の庄内通駅で中学1年の男子生徒が自殺した。生徒の自宅から「いじめが多く、もう耐えられないので、自殺しました」などと書かれた遺書が見つかった。
重松 清さんが書いているように「生きるっていうのは、なにかを信じていられるっていうこと」
少年は何も信じられなくなったことが、無性に悲しい。ご冥福をお祈りしています。

 

 

「不登校になった生徒や子どもは、よく先生や親から言われるんだよ、『なんでも話しなさい』って。でも、それはちょっと違うんじゃないかなって思うんだ。違うっていうか、足りないっていうか」「なにが足りないの?」「『いつでもいいから』の一言だ」なんでも話しなさい――。いつでもいいから、なんでも話しなさい――。お父さんは二つの言葉をつづけて、「けっこう大きな違いなんだ」と言った。「しゃべりたくないときにしゃべらされるのって、キツいもんな、誰だって」
(第二章 イエデクジラ)

 

 

「三歳のガキなんてさ、ほんとに弱っちいよ。おまえがいま手を離したら、一発で地面に落ちて、へたすりゃ死んじゃう。口と鼻をパッと手でふさいだら、もっと簡単に死ぬよ。そうだろ?こいつがどんなに反撃しても、おまえ、負けないよ。そうだろ?」タケシは黙ってうなずいた。それを確かめて、ツカちゃんは「だから」とつづけた。「忘れるな。自分より弱いものを抱いて守ってやってるときの、感触っていうか、気持ちっていうか、ぜんぶ忘れるな」「……はい」「それを覚えてるうちは、俺、おまえはゼツメツしないと思うぜ」
(第四章 捨て子サウルス)

 

 

顎がこわぱって、口がうまく動かない。財布のことなんて、ほんとうはどうでもいいのだ。いまいちばん言いたいのは、もうやめてくれよ、の一言なのだ。いつだってそうだ。その言葉は、学校に通っているときは毎日毎日、数えきれないぐらい喉にひっかかっていた。もうやめてくれよ――。もうやめてください――。もうやめてください、お願いします――。自分でもわかっている。ほんとうは違うだろ、とも思う。「やめてくれ」とお願いするのではなく、言わなきゃいけないのは「ふざけるな!」の怒りの一言だ。学校の先生は言う。「ガツンと怒らないから向こうも面白がるんだ」評論家も言う。「いじめられてしまう子というのは、往々にして意思表示があまりうまくない子が多いんですよ」コメンテーターも言う。「本気の怒りにまさるものはないと思いますよ、私は」親も言う。「いじめをする奴なんて、ほんとは弱虫の臆病者だよ。一回怒ってやれ、そうしたらもう怖がってなにもしないって」実際、いままでの我慢を爆発させて、その力でいじめから抜け出した奴は、タケシの学校にも何人もいる。逆ギレというやつだ。だが、それでかえっていじめがひどくなってしまった奴だって、もっといる。最初から、どうしても「ふざけるな!」が言えないタイプの少年もいる――タケシのように。学校の先生は言う。「だったら、せめて、もうやめてくれ、嫌だからやめてくれ、ってしっかり言わなきや」評論家も言う。「NOをはっきり言えないのは日本人の悪い癖でしてね」コメンテーターも言う。「ふりかかった火の粉を払う程度の勇気は、いじめられてる子にも必要だと思いますよ、私は」親も言う。「そんなにつらいんだったら、どうして教えてくれなかったんだよ。なんで一人でためこんじゃうんだよ」いじめたほうは言う。「だって、あいつ、全然怒ってなかったし、嫌がってなかったし」いじめを見ていた同級生は言う。「なんか、あいつらけっこう仲良さそうだったから、友だち同士でじゃれてるんだと思ってました」もうやめてくれよ――。言えそうなのに、言えない。「ふざけるな!」よりずっと簡単で、ずっとあたりまえの言葉のはずなのに、どうしてもそれが言えない。「どうしてだと思いますか、センセイ。「もうやめてくれよ」は、負けの言葉だからです。それを口にした瞬間、僕は、自分がいじめられていることを認めなければならないのです。自分があいつらに負けていることを、自分で受け容れなければならないのです。「ごめんなさい」や「ゆるしてください」は、無理やりにでも自分が悪いんだと言い聞かせていれば、なんとか言えます。いまの場合なら、僕がたまたまあのタイミングでコンビニに来てしまったのが悪いんです。目が合ってしまったのが悪いんです。それでいいんです。でも、「もうやめてくれよ」は違います。向こうの攻撃にギブアップするときの言葉です。向こうのやっていることが正しくても間違っていても、いじめがひきょうなことでもなんでも、とにかくギブアップなのです。悔しいじゃないですか。っていうか、情けないし、それを言ったらおしまいじゃないですか。負けを認めた瞬間、僕は赤ちゃんみたいにわんわん泣いてしまうかもしれません。張り詰めていたものが切れてしまう、という感じです。わかってくれますか。センセイ。センセイにも僕の気持ちは伝わってますか。不戦敗つづきの僕でも、自分からギブアップはしたくないんです。「もうやめてくれよ」と言ったら、一万分の一の可能性で、いじめが止まるかもしれません。でも、それと引き替えに、九九・九九九九パーセント、僕はこわれてしまうと思います。
(第五章 ナイフとレモン)

 

 

「自殺にもいろんな方法があるけど、飛び降り自殺を選ぶひとって、なんかね、死を選ぶぐらいだから疲れはててるんだけど、それでもね、最後の最後にね、いっしゅんだけ、空を飛びたかったんじゃないかな、って。きせきが起きて、ほんとに信じられない、ありえないきせきが起きて、空を飛べたら、もう一回リセットして生きてみようか、って……そんなこと考えて、むいしきかもしれないけど思ってて、飛び降りたんじゃないかな、って」
(最終章 テーチス海の水平線)

 

 

雨に濡れた街並みの遠くに、わが家のマンションが見える。最初に気づいたのは母親だった。まだ屋上に通いはじめて間もない頃、「あの子、ウチのほうを向いて飛び降りたんだね」と、ぽつりと言ったのだ。美由紀は最後にわが家を見てくれた。だから、あの子は飛び降りたのではなく、わが家に早く帰りたくて飛ぼうとしたのだ、人間は空を飛べないことを忘れて、つい、飛べると思ってしまったのだ――両親はそれを、いまも心の片隅で信じている。管理人はいつものように屋上まで付き添って、「四十九日もすんだんだったら、もう、娘さん、どこかで生まれ変わってるかもなあ」と言ってくれた――両親はそれも、ほんの少しだけ、信じている。……。……。
「さっきの話、一つだけ間違ってるぞ」 叱る声ではなく、咎める声でもなく、おだやかに笑って言った。「……どこが?」美由紀は意外そうに聞き返す。「一番大事なものは、夢でもないし、希望でもないし、優しさとか誇りとか、そんなのでもないんだ。それはぜんぶ、二番目に大事なものなんだよ」お父さんは話しながら、拍子をとるようにリュウの肩をそっと叩く。「じゃあ、一番って、なに?」と美由紀が訊いた。「簡単なんだ。簡単すぎて、親はつい子どもに伝えるのを忘れちゃうんだ。子どもが生まれた瞬間は、みんな、親は誰だって思うことなんだけどな」リュウも「それ、なんなの?」とお父さんを見上げて訊こうとした。だが、お父さんは、こっちを見ちゃだめだ、というふうにリュウの頭を手のひらでおさえて動かないようにした。「きみのお父さんも、伝え忘れてた。それをいまも悔やんでる。きっとお母さんも同じだ。みんなそうだ。自分から死を選んでも、そうでなくても、とにかく子どもを亡くした親は、みんな……ずっと、悔やんでるんだ………」声は途中から大きく震えた。お父さんは息を詰めて嗚咽をこらえ、上から押しつぶしたような声で言った。「生きてほしかったんだ」 美由紀は黙ったまま、お父さんをじっと見つめる。「生きてほしい……ずっと、ずっと、生きてほしい……夢なんかなくても、優しくなくても、正義の味方なんかじゃなくてもいいから、生きていれば……明日、夢が見つかるかもしれないし、明日、自分が自分であるという誇りが持てるかもしれない。それでいいんだよ」美由紀はなにか言いかけたが、お父さんは、わかってるよ、と泣き笑いの顔でそれを制してつづけた。「明日のことを考えると怖くてしょうがなくて、いいことがなにもないかもしれない。でも、じゃあ、あさってはどうだ? しあさってはどうだ? 来週になったら、来月なら……中学校を卒業したら、どうなってる?」ロを閉じて小さく肩を落とす美由紀に、お父さんは諭すように言った。「生きるっていうのは、なにかを信じていられるっていうことなんだよ」……。……。「だから……」お父さんの声は、また涙で震えはじめる。ハナを啜る。荒く息をついて、こみあげてくる嗚咽をいくつもやり過ごす。「生きてて……ほしかった……」膝をついて、リュウを背中から抱きしめる。強く、強く、抱く。そのはずみで、リュウの手からレモンが落ちた。美由紀も黙って、自分のレモンをフェンスの上に置いた。つややかなレモンの皮が陽射しを浴びてまぶしく光り、まるで太陽の小さなかけらのようだった。
(最終章 テーチス海の水平線)