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あらすじ
ハナは下北沢で古着屋を経営している37歳。仕事は順調。同年代の男よりも稼いでるし、自分の人生にそれなりに満足していた。ある日、恋人から「結婚してやる」と言われ、小さな違和感を感じる。「どうして、この人は『私が結婚を喜んでいる』と思って疑わないんだろう…」違和感は日に日に大きくなり、ハナは恋愛と仕事について模索していくことになるのだが…。人生の勝ち負けなんて、誰が分かるというのだろうか。ひたむきに生きる女性の心情を鮮やかに描く傑作長編。

 

ひと言
結婚して、子どもがいて、辞める勇気のない仕事があって…。手に持ったものを置くこともできず 新たなものを手にすることもできない人。これから何でもつかめるけれど、今は何も手にしていなくて 何かを手にすることができるという保障もない人。なにも選ばずに生きているように見えて、実は選択しないことを選んで生きている人。角田さんの本には はっとする言葉が散りばめられていて、その言葉を見つけるために、その言葉に出会うために でもその言葉は悩みを解決してくれるわけでもないのに…
でもやっぱり角田さんの本を読みたくなる。

 

 

パーティの招待状には「平服でお越しください」と記されていたものの、もちろん平服なんかでいくわけがない。タケダくんをまだ好きだとか、惜しいことをしたとか、そんなことはいっさい思わないものの、自分でも始末に困る見栄があった。だれにかわからないが、ひょっとしたら参加者全員に、元恋人の結婚パーティで、まあきれいな人、とか、まあすてきな人、とか、思われたいのだった。当然タケダくんにも、おや、と思ってもらいたかった。これを未練というのならば、私にはまだ未練があったのだろう。二月のパーティのために買った服・バッグ・靴・アクセサリーの一式は、合計で三十万円を超えた。その全額が、すなわち私の見栄指数なのだろうと思った。
(ウェディングケーキ)

 

 

その人はその人になってくしかない、か。百円ショップの前を通りすぎるとき、私はそこで足を止めて、チサトの言葉を口のなかでつぶやいた。……。その人はその人になっていくしかないと、チサトはきっと日々のどこかで学んだんだろう。勝ち負けも持ち物の多さも、生きていくのになんの関係もないと。こうこうと光る蛍光灯に誘われるようにして、私は百円ショップに足を踏み入れた。……。私はあふれ返る品物に目をとめず、食器コーナーヘと進み、さっき手にしたマグカップにもう一度手をのばした。気に入ったものしか買わないと決めていた。キリエの仕事場みたいにかっこいい部屋にしようと思っていた。間に合わせのものなんか持ちこまないと意気込んでいた。でも、その決意や意気込みは、本当に私のものだったのだろうか。どこにもいないだれかの価値観を、自分のもののように錯覚していただけじゃなかったのか。私はしげしげとそのカップを眺めた。いかにもちゃちなこのカップを、毎日眺め、毎日手にしていたら、いつか、いとおしく思うことができるだろうか。自分にとってたいせつなものに思えてくるんだろうか。これがほしい、というよりもむしろ、私はそんなことを知りたかった。……。……。
そうだ、空っぽの部屋を嘆くことなんかない。だってこれから、いくらでもものを満たしていける。百円だろうが、百万円だろうが、だれの目も気にせずにほしいものを手に入れればいい。私はふと立ち止まり、広げたてのひらに視線を落とす。あの部屋のように、何ひとつつかんでいないからっぽのてのひらが、淡い闇に頼りなく浮かび上がっている。なんにもつかみとっていない、なんにも持っていない――それはつまり、これからなんでもつかめるということだ。間違えたら手放して、また何かつかんで、それをくりかえして、私はこれを持っていると言えるものが、たったひとつでも見つかればいいじゃないか。それがたとえ六十歳のときだって、いいじゃないか
ねえ、そうだよね。きっとそうだよね。母でもなく、チサトでもなく、キリエでもなくタケダくんでもなく、私は自分自身にそう確認してみる。両手をポケットにつっこんで、ぴたりと動かない日の丸の旗から目線を持ち上げると、明かりのない正月の夜空はいつもより深く、まばらに散らばった星はいつもよリ強い光を放っていた。
(空に星、窓に灯)