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あらすじ
たかむら画廊の青年専務・篁一輝と結婚した有吉美術館の副館長・菜穂は、出産を控えて東京を離れ、京都に長期逗留していた。妊婦としての生活に鬱々とする菜穂だったが、気分転換に出かけた老舗の画廊で、一枚の絵に心を奪われる。画廊の奥で、強い磁力を放つその絵を描いたのは、まだ無名の若き女性画家。深く、冷たい瞳を持つ彼女は、声を失くしていた。京都の移ろう四季を背景に描かれる、若き画家の才能をめぐる人々の「業」。『楽園のカンヴァス』の著者、新境地の衝撃作。

 

ひと言
川端康成の「古都」を思い出すような作品でした。最後の「22 紅葉散る」には少しびっくりしました。ただ、我儘なお嬢様を強調したいために、原発事故の放射能から逃れて京都で避難生活を送る妊婦の菜穂という設定にしたのかもしれませんが、あのとき逃れたくてもどこにも逃れることもできず、今も不安を抱えながら生活している妊婦の方や、小さい子どものいる方がこれを読んだらどんな気持ちになるんだろうと思ってしまいました。何もフクシマを持ち出さなくても菜穂が京都に行く設定にはできなかったのかなぁ。読者をあたたかい気持ちにする原田マハさんだから、そこが少し残念でした。
でも京都の魅力はすごく伝わってきて、祇園祭りの宵山や「屏風祭」の光景が目に浮かぶようでした♪

 

 

「なんぞ、しんどいことがおありどしたか」そっと尋ねられた。そのやさしい声色が、胸に響いた。有吉美術館所蔵のとある傑作が売却された一件を、菜穂はせんに打ち明けた。少女の頃から親しんだ作品で、まるで友だちが売られてしまったような無念を味わったこと、またそれ以上に、自分になんの相談もなしに売却されてしまい、すべて事後報告だったのに衝撃を受けたということも、正直に打ち明けた。「そうどしたか」囁くように、せんが言った。「あんさんのお気持ちは、ようわかります。せやけどなあ、その『睡蓮』は、もともと、あんさんのもんやなかったん違いますか」せんの言葉に、菜穂は、はっと顔を上げた。冬日のように穏やかな、せんのまなざしだった。「いままでも、これからも、誰のもんにもならへんの違いますか」もとより、芸術家の創った作品は、永遠の時を生きる。それは、永遠に、ただ芸術家のものであり、縁あって、いっとき誰かのもとにある。その誰かのもとでの役目を終えれば、次の誰かのもとへいく。そうやって、作品は、永遠に伝えられ、はるかな時を生き延びるのだ。そんなことを、せんは、ぽつりぽつりと話した。せんの言葉には、真理の響きがあった。それはまるで、祈りの言葉のように、菜穂の耳朶(じだ)に触れた。菜穂の胸中で激しく逆巻いていた嵐が、ふと、やんだ。新しい涙がこみ上げてくるのを感じた。けれどそれは、もはや、悲しみの涙ではなかった。潤んだ瞳で、菜穂は、せんの背後にひっそりと掛かっている青葉の絵を見た。この絵もまた、永遠の時を生きる運命なのだろうか。だとすれば、最初に自分のところへきてくれた、その奇跡に感謝しなければなるまい。
(10 睡蓮)

 

 

遠くて近きもの。極樂。舟の道。人のなか。なんの脈絡もなく『枕草子』の一節が浮かんだ。
(23 氷雨)