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あらすじ
東京の文教地区の町で出会った5人の母親。育児を通して心をかよわせるが、いつしかその関係性は変容していた。あの人たちと離れればいい。なぜ私を置いてゆくの。そうだ、終わらせなきゃ。心の声は幾重にもせめぎ合い、それぞれが追いつめられてゆく。凄みある筆致で描きだした、現代に生きる母親たちの深い孤独と痛み。渾身の長編母子小説。

 

ひと言
1999年11月に起きた文京区幼女殺人事件(音羽お受験殺人事件)を題材に書かれた小説。
繁田繭子、久野容子、高原千花、小林瞳、江田かおり 5人の、事件が起こる3年前の1996年8月から書き始められていて、最後は(小説の中では事件は起こっていないが…)事件後、この5人はどうなったのかという2000年3月の5人を描いた形で終わっている。その1つ前の6章 1999年2月の最後の16ページが事件をイメージさせる記述になるのだが、これこそ角田光代、読者を引きつける筆力で、私に2回、3回と読み返させる。

 

 

何かが狂いはじめたその発端を、この暗い森の入り口を、……(第六章 一九九九年二月)

 

 

他人と比べることで人は不要な不幸を背負いこむ。学生のとき、容子はすでにそう悟っていた。それは容子のなかでまぎれもない真実だった。人は人。私は私。その線引きをしっかりさせて日々を送りたいと思っていたし、実際そうしてきた。けれど気がつけば、親しくなった人のマンションをこっそり見にいってしまうような自分かいる。そんなことはやめろ、やめろと思いはするのだ。みっともないと自覚してもいる。けれど、彼女たちがどんなところに住んでいるのか知りたいと一度でも思うと、じりじりしてたまらなくなる。見るだけだ、比べるわけではないと自分に言い聞かせつつ見にいって、そして彼女たちの住まいを確認すればすうっと気分が安らぐ。しかし激しい自己嫌悪も覚える。瞳のマンションを見て賃料を想像し、なおかつ安堵までしている自分を、容子は激しく責め苛んだ。(第四章 一九九八年六月)

 

 

栄吉は立派な人間だ。落ち度のない夫だ。ただ気づいていないだけだ。相手が自分を否定しないとわかっているときだけ、人はなんでも言えるのだと、夫は気づかないだけなのだ。あれほど言葉を交わしたって、心の底では光太郎の受験に反対しているではないか。私との会話でその反対が大賛成に翻るはずがないではないか。繭子のところに預けていると言えないのは、これからどうしようと相談できないのは、あなたが頑固な正論で私を否定するからではないか。(第六章 一九九九年二月)

 

 

お祭りはどこなの。みんなどこにいるの。私の子はどこにいったの。私はどこにいるの。この子はなんでここにいるの。アイロンのスイッチは切ってきたかしら。ここはどこなの。どうしてこんなに蒸し暑いの。支離滅裂な考えが、炭酸水のあぶくのように彼女のなかで浮き上がっては消える。考えがいっこうにまとまらないことに彼女は焦る。指の先から背中、背中から脳天へと、皮膚が焦りで粟立つ。終わらせなきゃ。彼女は叫ぶように思う。そうだ、終わらせなきゃ。終わらせなきゃいけなかったんだ。彼女は、目の前にいるちいさな黒い影に両手をのばす。やわらかい頭髪に触れ、弾力のある頬に触れ、折れてしまいそうな細い首に触れる。終わらせなきゃ。私がはじめたことなんだから、終わらせなきゃ。彼女は指に力をこめる。ぞわぞわと生きものが這うように皮膚は粟立ち続けている。硬い金属質のもので締め上げられているように頭が痛む。腹の底から湧き上がる叫びが、かろうじて喉元に引っかかっている。この子がいなくなる。そうすれば終わる。この子さえいなければあの子はだれとも比べられない。この子さえいなければ私たちはもう会うこともなくなる。この子さえいなければ。あの子さえいなければ。私さえいなければ。またもや彼女の思考は支離滅裂に拡散していく。終わる。終わる。終わる。終わる。もうすぐ終わる。ほかのいっさいの考えを頭から締め出すように、彼女はその一言だけをくり返す。
(第六章 一九九九年二月)