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あらすじ
つい想像してしまう。もしかしたら、私の人生、ぜんぜん違ったんじゃないかって 。もし、あの人と別れていなければ。結婚していなければ。子どもが出来ていなければ。仕事を辞めていなければ。仕事を辞めていれば……。もしかしたら私の「もう一つの人生」があったのかな。どこに行ったって絶対、選ばなかった方のことを想像してしまう。あなたもきっと思い当たるはず、6人の「もしかしたら」を描く作品集。

 

ひと言
人は誰でも自分の人生を振り返って「あの時、ああしておけば…」「あの時、あっちを選んでいたら…」と思うことが必ずある。でも半世紀以上生きてきて、ほんとうに心の底から「あの時、こっちを選んで本当によかったんだ」と今は、自信を持って言えるような気がする。あと残り少ない人生、こらからも「あれかこれか」の選択に迫られることがあると思うけれど、決して「あの時、ああしておけば…」と後悔して生きるのではなく、自分の選んだ道を信じ後悔することなく生きていきたいと思う。

 

 

ジャンパーのポケットに手を突っ込んで、マフラーに顔を埋めるようにして奏春は歩く。何気なく空を見遣ると、いつもより星が多いような気がした。空の隅に石鹸みたいなかたちの月が浮かんでいる。輪郭はくっきりしているのに、やっぱり笑っているように見えた。奏春を、ではなく、奏春に。帰ったら、いちばん染みの少ない用紙を選んで必要事項を記入して、明日、冬美に電話をするんだ、どこに送ればいいのか訊くんだ、もし冬美が電話を切らずにいてくれたら、いい子を産めよと言ってやるんだ、がんばれよと言ってやるんだ、それはもう一点の曇りもない気持ちでそう言ってやるんだと、ちいさな子どもに言い聞かせるように、泰春は胸の内でくり返す。立ち止まってもう一度空を見上げると、いつもより少しだけ多い星が、うんうんとうなずくようにちらちらと光っている。習字セットを持ったちいさな子どもを奏春は思い浮かべる。その子どもも星の光のようにちらちら笑いながら、うんうんとうなずいている。
(月が笑う)

 

 

見学者用のスペースでほかの母親たちとともに聡子は泳ぐ悠菜を見つめる。悠菜は最近ようやく水に顔をつけられるようになった。ビート板を持ち、水のなかをたゆたうようにゆっくり進んでいくちいさな姿を見ていると、聡子は泣きたいような気分になる。母性というのは、抱きしめたいとか、頬ずりしたいとか、噛みつきたいとか、そういう気分ではなくて、この、泣きたいような気分のことを言うのではないかと聡子は思うことがある。そのほかのことにはかわいいからという理由があるが、泣きたいという気分の理由だけはわからないからだ。母性は、聡子には未だわからない分野のものである。
(こともなし)

 

 

「ああ、まあ。ブログやってるって前、話してたじゃないスか。レシピブログ。見つけたから、ときどき見てるんスよ。そんで、さとぴょんってしあわせなんだなあって思ってたんス。こうしなけりゃとか、こうしてりゃとか、迷ったり後悔したりしたことないんだろうなって」「だってしあわせじゃなきゃ困るじゃない」思わず言って、聡子ははっとする。「困るって、だれが?」「……私がよ」そうだ。聡子はぱちぱちと瞬きをする。今の日々が充実しているとブログで知らせたいのは、別れた男でもその原因の女でもない、「もし」で別れた、選ばなかった私自身だ。あのとき旭にしがみついてぜったいに離れなかっ、あるいは自暴自棄で伸一と寝たりしなかった、あるいは会社を辞めなかった、無数にいる、今の私とは違うところに立っているだろう「私」のだれよりも、私は今、しあわせでなければならず、私に選ばれなかった幾人もの「私」に、負けたと思わせなければならないのだ。不幸になっていてほしいのは、旭じゃない、旭と居続けた、「もし」に佇むもうひとりの私だ。伸一も知らず、悠菜も知らない、仕事も辞めていない私。ブログを書いたあと、かすかに感じる自己嫌悪は、きっと今の自身に対して感じている申し訳なさだ。
(こともなし)

 

 

ぴょん吉のことはひたすらかなしく、自分の行動がひたすらうらめしく、もし、この先ぴょん吉に何かあれば、さらに倍増するそのかなしみと後悔を背負いこむのだろうと、ずっと庭子は考えていた。今、隣を歩く女性は十年近く、それを背負って歩いているんだと考える。人の不幸を知って自分の不幸を軽減する錯覚を得るのとはまったく異なる、安心感にも似た気持ちがあふれる。もちろんそれは安心感ではない。けれど庭子はその気持ちをあらわす言葉を知らない。猫と息子ではまったく重みも大きさも違う。でもたぶん、この女性は、ぴょん吉が見つかったと知ったら、我がことのようによろこんでくれるだろう。そしてもし、ぴょん吉が見つからなかったら、あるいはもっとかなしい事実が持っていたとしたら、この女性はやっぱり自分のことのように泣いてくれる。どちらも、自分のかなしみと比べることなく、そうしてくれる。私もたぶん、この女性のかなしみを思い出すたびずっとかなしむだろうと庭子は思う。かなしみも後悔も、一ミリグラムも減ることはぜったいにないけれど、大きさの違いではない、重さの違いでもない、ただ、それを背負ってしまったという一点で、こんなふうに見知らぬ人と共鳴し合える。そのことが、こんなにも気持ちをあたたかくさせることを、庭子は知る。
(どこかべつのところで)