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あらすじ
転校生じゃないからという理由でふられた女子高生、ジミ・ヘンドリックスのポスターを盗みに元カレのアパートに忍び込むフリーライター、親友の恋人とひそかにつきあう悪癖のある女の子、誕生日休暇を一人ハワイで過ごすハメになったOL……。どこか不安定で、仕事にも恋に対しても不器用な主人公たち。何度傷ついても、もう二度と恋なんかしないと思っても、まただれかを愛してしまう……ちょっぴり不幸な男女の恋愛を描いた短篇小説集。

 

ひと言
最近は、原田マハさんにハマっていましたが、久しぶりの角田光代さん。読み始めると「ん…、読みやすい!」原田さんが読みにくい訳ではないけれど、角田さんはやっぱりすごく読みやすいんだと実感させてくれました。
大好きな浜省の「君が人生の時」の歌詞のように「あふれでる愛を幾つも誰かにそそいで 傷つきそして立ち直り ひたすら愛するだけ 見果てぬ夢と満たされぬ愛 両手にかかえて Time of your life …」を感じさせてくれる作品でした。

 

 

だれかとだれかのでこぼこは、きっとうまい具合に重なりあうようにできているんだろうなあと、彼女たちの恋人批判を聞くたびに思う。もちろん、重なりあわなくても一緒にいることはできるけれど。
(バーベキュー日和)

 

 

チカはきっともうツネマサに会うことはないだろう。チカが彼をどんなに好きでも、自分からたずねていかないかぎりもう二度と会えない。けれどきっと、それを憂うより先にチカは忘れてしまう、ツネマサという名前も、おしゃれするために母親とくりひろげたバトルも、ツネマサの大きな掌の感触も、三人ですごした時間も。それであるとき、――だれかをどうしようもなく好きになったり、それでもどうにもならないということがあるんだと知ったあとで、土に埋もれた幼い宝物を見つけるように思い出すに違いない。ひどく短い時期ともにときをすごしただれかと、そのだれかのいとしい人と、何も知らずにそこにいた自分自身を。
(だれかのいとしいひと)

 

 

私は折りだたんだ靴下の片方のゴムの部分にはさむかたちで、まるくするが、彼はただ二つに折りたたむ。私のやりかたではゴムが仲びると彼は言うが彼のやりかたではすぐくずれてぐちやぐちやになる。……。いろいろある。数えきれないほどある。しかしこういう違いは、習慣の違いでしかない。習慣の違いならばいつかすりあわせることができる。笑ってしまうくらい私たちが合わないと気づかせるのは、こういった習慣の違いではなくて、皮肉なことに、それらのことを言いながら相手の性質、もしくは存在を責めることができる、私たちのその後天的能力である。結局のところ、そんな特技を身につけたから、たがいの差異を許すことができないのだ。
(海と凧)

 

 

恋愛、だとか、友情、だとか、幸だとか不幸だとか、くっきりとした輪郭を持ったものにあてはまらない、あてはめてみてもどうしてもはみでてしまう何ごとかがある。その何ごとかの周辺にいる男子と女子について書いた。それは、夢と現実のごっちやになった記憶を掘りかえす作業と、どことなく似ていて、物語のなかで彼女や彼が見た、ひまわりや地味な夜景や、黄色い電車や花の咲く野は、いつのまにか私自身のひどく個人的な記憶になってしまった。もし、この物語のなんでもない光景のひとつが、そんな具合に、読んでくれた人の記憶に、するり、と何くわぬ風情でまぎれこんだらいいな、と願っています。
(あとがき)