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あらすじ
ニューヨーク近代美術館の学芸員ティム・ブラウンは、スイスの大邸宅でありえない絵を目にしていた。MoMAが所蔵する、素朴派の巨匠アンリ・ルソーの大作『夢』。その名作とほぼ同じ構図、同じタッチの作が目の前にある。持ち主の大富豪は、真贋を正しく判定した者に作品を譲ると宣言、ヒントとして謎の古書を手渡した。好敵手は日本人研究者の早川織絵。リミットは七日間。ピカソとルソー。二人の天才画家が生涯抱えた秘密が、いま、明かされる。
(2013年本屋大賞 3位)

 

 

ひと言
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のときのように、寝るのも、食べるのも忘れて一気に読みました。自分的にはダ・ヴィンチ・コードよりもおもしろいです♪。原田 マハさんファンなのに、2013年本屋大賞 3位のこの本をどうして今まで読まなかったんだろうと後悔。
読む前まで、ルソーってあの哲学者のジャン・ジャック・ルソー? へー、絵も書いていたんだと思っていた自分が恥ずかしいです。MoMAでアンリ・ルソー の『夢』を観てみたいけれど まず無理だから、オリエ・ハヤカワのようにキュレーター 原田 マハが窓口となって日本に『夢』が来ないかなぁ。

 

 

 

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アンリ・ルソー、一九一〇年――画家最晩年の傑作、「夢」。二十世紀美術における奇跡のオアシスであり、物議を醸す台風の目ともなった作品だ。作品の舞台は、密林。夜が始まったばかりの空は、まだうす青を残し、静まり追っている。右手に、ぽっかりと明るい月が昇っている。鏡のような満月だ。月光に照らし出される密林は、うっそうと熱帯植物が密集している。名も知らぬ異国の花々が咲き乱れ、いまにも落ちそうなほど然した果実が甘やかな香りを放つ。ひんやりと湿った空気のそこここに、勤物たちが潜んでいる。その目は爛々と、小さな宝石のように輝いている。遠く近く、聞こえてくるのは笛の音-黒い肌の異人が奏でる、どこかせつなくなつかしい音色。耳を澄ませば、そのまま彼方へ連れ去られてしまいそうなほど、深く静かな旋律。月の光に、果実の芳香に、ライオンの視線に、そして異人の笛の音に、いま、夢から覚めたのは――長い栗色の髪、裸身の女。彼女が横たわる赤いビロードの長椅子は、夢と現のはざまにたゆたう方舟。夢から覚めてなお、女は夢をみているのだろうか。それともこれは現実なのか。ゆっくりと上半身を起こし、女は、真横に左手を持ち上げる。恐る恐る、彼女は、まっすぐに指差す。その向こうにあるのは、彼女がみつめる先にいるのは、たぶん、いや、きっと――。この作品を生まれて初めて見た瞬間の驚きと興奮を、ティムはいまもありありと思い出すことができた。十歳だった。両親に連れられて、ニューヨークヘ観光にやってきたとき、出会ってしまったのだ。この場所、MoMAの展示室で。
(第二章 夢)

 

 

けれど、ティムは、最後の章を読み終えたとき、みつけたのだ。――ページの余白に、ぽつりと落ちた涙の跡。まだ乾き切っていない、織絵が落とした涙の跡を。紙のその部分は、かすかに湿って盛り上がっていた。そこに、うっすらと見えたのだ。紙に漉きこまれた筆者の名前が。貴族や資産家は、自分専用の便便などに名前や紋章を漉きこむことがある。物語を印刷するのに使われていた紙には、著者の名前が漉きこまれていたのだ。ティムは、紙の下に指を差しこんで注意深く見た。そこに発見した名前は――。――ヤドヴィガ・バイラー。驚きが、疾風のように織絵の顔をかすめた。ティムは、絵の中のヤドヴィガから目を離さずに続けた。「つまり、物語の中に登場したルソーに心酔するヤドヴィガの夫、ジョゼフは……コンラート・ジョゼフ・バイラーだったんだ」……。……。感極まったように、織絵が声を放った。その声には、歓喜の響きがあった。「じゃあ、ムッシュウ・バイラーが、この作品にあんなにも固執したのは……」「彼の妻が、ルソーとともに『永遠を生きる』ために。どうしても、この作品を手にして、守り抜きたかったんだ」
(第十章 夢をみた)

 

 

「色がきれい」「その通り。それから?」「ていねいに描いてるって感じ」うん、と織絵はうなずいた。母も、つられてうなずいている。真絵は、顔を少し表紙に近づけると、思わず、という感じで言った。「なんか……生きてる、って感じ」その瞬間、織絵は息を止めた。母までが、一緒になって息を止めているのがわかる。真絵は、ちらりと母と祖母の顔を見て、「もうええじゃろ」とつぶやくと、再び箸を動かし始めた。生きてる。絵が、生きている。そのひと言こそが真理だった。この百年のあいだ、モダン・アートを見出し、モダン・アートに魅せられた幾千、幾万の人々の胸に宿ったひと言だったのだ。そのひと言を胸に抱いて、織絵はニューヨークヘと旅立った。
(最終章 再会)