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あらすじ
サンフランシスコにある医院のオフィスで、老精神科医は、壁に掛けられた穏やかな海の絵を見ながら、光と情熱にあふれた彼らとの美しき日々を懐かしく思い出していた……。結婚を直前に控え、太平洋戦争終結直後の沖縄へ軍医として派遣された若き医師エド・ウィルソン。太平洋戦争で地上戦が行われ、荒土と化した沖縄。首里城の北に存在した「ニシムイ美術村」そこでは、のちに沖縄画壇を代表することになる画家たちが、肖像画や風景画などを売って生計を立てながら、同時に独自の創作活動をしていた。その若手画家たちと、交流を深めていく、若き米軍軍医の目を通して描かれる、美しき芸術と友情の日々。史実をもとに描かれた沖縄とアメリカをつなぐ、海を越えた二枚の肖像画を巡る感動の物語。

 

ひと言
作家になって3年ほど経ったある日のこと、偶然見ていたテレビの美術番組で、「ニシムイ美術村」の存在を知った原田 マハさんが「書きたかった、そして、書かなければいけなかった『真実の物語』」と断言する美術小説。
ラストの7つの鏡は涙が止まりませんでした。今度沖縄へ行くことがあったら、以前手を合わせに行けなかった沖縄平和祈念公園の島守之塔。そして2015年、命日とされる6月26日に那覇市の奥武山公園に建立された島田叡氏顕彰碑。それから沖縄県立博物館・美術館の戦後70年特別企画 ニシムイ 展も訪れてみたいと思いました。

 

 

タイラに投げつけられたひと言が、胸に鋭く突き刺さったままだった。――あんたは、おれたちが信じているものを、侮辱したんだ。大切な宝物を壊されてしまった少年のように、まっすぐに怒っていた。そして、目に涙をいっぱいに浮かべていた。私は、あのとき、タイラに向かってなんと言っただろう。君ら画家は、軍人が好む絵を描くべきだ。きれいで、明るくて、故郷への手みやげにいい絵でなくちや。そんなふうに、言ったのだ。馬鹿な。……なんて、馬鹿なことを。私は、タイラの――いや、ニシムイの芸術家たちの中でそっと息づいていた自尊心を、傷つけたのだ。日本も、アメリカも、戦争も、貧しさも――いかなるものも侵し得なかった、彼らのもっとも大切なものを。日章旗の下にあっても、そしてそれに星条旗が取って代わっても、抗うことなく、ひそやかに、しかし絶え間なく燃やし続けてきた彼らの誇り。――自らの意志で描き続ける芸術家であること。彼らのたったひとつの誇りを、私は踏みにじった。自分の軽薄な言葉を、どれほど侮やんだかわからない。(5)

 

 

「おい若造。お前、どこの所属だ。おれのルーシーに手出しなんぞしたら、即刻、戦場に送り出してやる。もうすぐ朝鮮で戦争がおっ始まるんだ、わかってるだろうな。最前線で蜂の巣になるがいいさ」「やめて。やめてったら、ロバート。この人はなんでもないの、ただのお客よ」「いいか若造。おれたちは、お前ら兵卒なんぞ、なんとも思っちやいないんだ。お前らは、二本足で歩く爆弾さ。朝鮮人の中に突っ込んで、やつらもろともぶっ飛ばされゃあいいんだ。沖縄人を見習って、自爆してみろ。ああ? あいつらは、おれたちにやられるまえに、自爆したんだぞ。女も子供もな。手榴弾のピンを自分で引き抜い……」「やめてよっ!」メグミが金切り声を上げた。両肩が、激しく上下している。(5)

 

 

結局、アランは、もう一度ニシムイヘ行くことがかなわなかった。それだけが彼の心残りだったことだろう。荷物をすべて整理したあとで、彼は、私に一冊のスケッチブックを、こっそりと見せてくれた。おびただしい数の女性の顔や姿が描かれていた。そのすべてが、メグミたった。アランは、彼女に密かに思いを寄せていたのだ。――彼女に渡してほしいのかい?訊いてみると、彼は、首を横に振った。――まさか。そんなこと、ちっとも望んでないよ。だけど、最後に……君にだけは、見てほしかったんだ。まあ、とてつもなくへたくそだけどね。そう言って、照れ笑いをした。そして、その一冊だけは持って帰ろうと思う、と呟いた。――大切な痛みなんだ。しばらくは刺さったままの、青春の棘さ。……なんて、格好つけすぎかな?(7)

 

 

出港の汽笛が鳴り響いた。私は、手すりに上体を預けて、ゆっくり、ゆっくり、船が港を離れていくのを眺めていた。太陽が、真上に高く上がっていた。静かな強さをもって、日光が緑の島を照らしている。群青の海はさんざめき、幾千万の魚たちがいっせいに飛び跳ねるように、白い波頭がちらちらと弾けている。潮風に吹かれながら、私は、遠ざかる陸地の小高い丘を、緑豊かな「北の森」を探した。ニシムイの森の果てで、タイラと私は、海を渡っていく貨物船を眺めていた。あの森は、どのあたりだろうか。あの丘に、画家たちがいま、いるとしたら。――私の船が見えるだろうか。ふと、チカッと光る何かが、私の視界をかすめた。私は、目を凝らして、はるかな丘のあたりを眺めた。チカッ、チカッ。光が明滅している。ひとつではない。いくつかの光。なんだろう、あの光は。何かが、反射して……。ひとつ……ふたつ……三つ……四つ……。最初はゆっくりと。やがて、小鳥が羽ばたくように、いっせいに。五つ……六つ……七つ。 七つの、小さな光。はっとした。私は、手すりから大きく身を乗り出した。あれは、ニシムイのあたりだ。間違いない。そして、あれは、あの光は――。いつの日か、アランとともにニシムイを訪ねたとき。タイラが、手の中のコンパクトに日光を集めて、私たちの目をめがけて光を放ったことがあった。――鏡。そうだ、鏡だ。自画像を描くためにと、私が、ニシムイのみんなに贈った、七つの鏡。それが、光を集めて、反射しているのだ。私は、息をのんだ。七つの光が、いっせいに、海に――船に向かって明滅している。輝きを放っている。去ってゆく、私に向かって。……。……。
ニシムイの丘は、太陽を集めて、まばゆい光の棘を作っていた。それは、かすかな痛みを伴って、私の目を、胸を、冴えざえと刺した。私は、遠ざかる光が見えなくなるまで、みつめていた。やがて、静かに目を閉じた。――まぶしかったのだ。それは、小さな光だった。ほんの一瞬のきらめきだった。けれど、たとえようもなく、まぶしかった。……。がらんとした甲板で、私は、ひとり、佇んでいた。布で包んだ二枚の絵を、しっかりと胸に抱きしめていた。どんなに強い向かい風にも、飛ばされぬように。まぶたの裏に焼きついた光の棘を、その残像を、もうしばらくのあいだ、追いかけていたかった。島影が、白くかすむ水平線の彼方へと消えてゆく。中空を過ぎた太陽が、湿った光を放ちながら、永遠のようにゆっくりと遠ざかっていく。(8)

 

 

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