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あらすじ
「昔の親は、家族の幸せを思うとき、何故か自分自身は勘定に入ってなかったんだよねえ……」。女手ひとつで娘を育てた母は言う。そんな母の苦労を知りつつ反発する娘が、かつて家族で行った遊園地で若かりし日の両親に出会う。大切なひとを思い、懸命に生きる人びとのありふれた風景。生きるのが辛い、虚しい。思い描く幸せには遠いけど、大切な人を思ってがんばって生きる人々の、ほんのり怖くてあったかい物語9篇。

 

ひと言
この本も「重松 清」「送り火」で図書館で借りようと思った本でした。登場人物の辛さや悲しみが、すごく伝わってきて、その悲しみを癒すような、その苦しみから救ってくれるような一言に、泣かされ、ほっとさせられ、しんみりと考えさせられます。ありがとう 重松 清さん。

 

 

 

「お父さんも、家族をいちばん大事にしてたひとだったから」「でも、ほとんど家にいなかったじゃない。晩ごはんなんて毎晩毎晩、お母さんとわたしの二人きりだったじゃない」「……晩ごはん、美味しかったでしょ。寂しかったけど、美味しかったでしょ? それでいいのよ、お父さんは。お母さんと弥生子が家で美味しい晩ごはんを食べてることが、お父さん、嬉しかったの」
なにが言いたいのか、よくわからなかった。だが、母親は自分の答えに我ながら感心したように、「美味しい晩ごはんを食べさせることが幸せだったのよねえ、お父さんにとっては」と繰り返した。
「そこに自分がいないんだったら、意味ないじゃない」「そうよねえ……でも、お父さんが家族を大事にするって言うとき、自分は含めてないのよね。お母さんとあんたの二人だけが、家族なの。その家族のために、あんなにがんばって働いたの。あの頃の父親って、ウチのお父さんだけじゃなくて、みんなそうだったんじゃないの?」返す言葉に詰まった。家族には自分自身が含まれていない」そんなのおかしいとは思う。間違った考え方だとも思う。それでも、その考え方は、泣きたくなるほどくっきりと、よくわかる。(送り火)

 

 

 

「帰るっていうのは……」佐々木は言いかけて、少し考えてから、つづけた。「贅沢なものですよね」「……そうですか?」「だって、出て行かなきゃ帰れないでしょ、あたりまえのことですけど。贅沢だと思いません?出て行かないひとには帰ることだってできないんですよ。で、誰かが出て行ってくれないと、残ったひとは待つこともできないし、迎えることもできなくて……だから、『行ってきます』とか、「行ってらっしゃい」とか、『ただいま』とか、『お帰りなさい』とか、そういう台詞って、みんなが同じ場所にいたら永遠に言えないんですよ。で、『ただいま』や『お帰り』って、すっごく家族でしょ、家族っぽいでしょ。好きなんですよ、私、『ただいま』と『お帰り』が」……。
「私、ひとは出て行ったから帰るんじゃないんだと思うんです。帰るために、出て行くんですよ。
私、そうなんですよ、ほんとに、玄関のドアを開けて『ただいま』って言いたいから、毎朝『行ってきます』って言って会社に行ってたんです。『ただいま』を言いたいし、女房の『お帰りなさい』を聞きたいし、女房に『お帰りなさい』って言わせてやりたくてね……ウチは女房も仕事を待ってますから、日によっては、私が『お帰り』って、女房が『ただいま』って、それもいいんだなあ、すごく、うん……子どもだってそうですよ、『ただいま』って言ったり、『お帰り』って言ったり、それ、家族しか言えない言葉じゃないですか、だったらいっぱい言いたいし、いっぱい聞きたいし、いっぱい言わせてやりたいし、いっぱい聞かせてやりたいし……もっと言いたかったなあ、ただいま、ただいま……」……。……。
「家族には『さよなら』っていう挨拶はないんです。別れるときは、いつも『行ってきます』と『行ってらっしゃい』で、それを言ったら、ちゃんと帰らなきゃ。私みたいに約束を破って、子どもに『さよなら』なんて言わせてしまったら……だめですよ、ほんとに」「佐々木さん……さよなら」「そう、『さよなら』は、こういうときにつかう言葉なんですよ」(家路)