イメージ 1 
 
あらすじ
本は、開くとき、読んでいるときばかりではなく、選んでいるときからもう、しあわせをくれるのだ。まるで旅みたい。読書という幸福な時間をたっぷりつめこんだエッセイ集。
読書名人・角田さんの読書という幸福な時間をたっぷりつめこんだエッセイ集。『私たちには物語がある』につづく(本をめぐるエッセイ集)第2弾! 宮沢賢治、ヘミングウェイ、開高健、池澤夏樹などの古典的な名作から現代作品まで、延べ80冊におよぶ本にまつわるエッセイがつまっています。

 

ひと言
大好きな作家の角田さんの読書エッセイ。読んだことがある本では、ふんふんと納得しながら。読んだことのない本のでは、すごく読んでみたいと思わせるような文章で読書へ誘ってくれる ほんとうに旅をしているような本でした。読んでいる途中、付箋だらけになって、どこをこのブログに書き残そうか迷いました。
にゃーごさんいい本を紹介してくれてありがとう。

 

 

 

小学生のとき、宮沢賢治の物語が好きで、卒業するまでに図書室にある童話集をすべて読もうと思っていた。布地の表紙の、ページの隅の黄ばんだ大判な本だった。すべて読めたのかどうか、思い出せないげれど、けっこうたくさん読んだ。大人になって読み返すと、こんなにもよくわからない話を子どもなのによく読んでいたなあと思う。でも、理解する、しないとか、解釈する、しないとかではなくて、ただ、情景を思い浮かべていたんだろうなあと思う。大人になった私にとって、宮沢賢治は、物語ではなく光景を描く人だ。うつくしい光景を言葉でつむいで見せる人。子どもの私はただ、その光景をうっとりと見ていたんだろうと思う。
(冬の光 宮沢賢治の童話)

 

 

 

近しい人が死んだとき、死というものをはじめて経験したとき、私たちは混乱する。それはまったく「意味がわからないもの」だ。今まで出合ったもののなかでもっとも意味のわからないそれを、私たちは受け入れなくてはならない。拒絶したり避けたりする選択肢はない。受け入れること、それしか私たちには許されていない。私たちは混乱し、かなしいと思うより先に泣き、受け入れざるを得ないそれを、のみこめず自分の内に転がし、転がすうち染み出てくる後悔の痛みに耐え、そうして、それほどの苦しみを人と共有できないことを知って愕然とする。同じように近しい人を亡くし、同じようにかなしんでいても、私たちはそれを分かち合うことができない。分かち合うことで軽減させることができない。その、絶望的なまでのできなさ加減にもまた、私たちは混乱するのである。
(湯本香樹実「春のオルガン」)

 

 

読みながら、私は幾度も思った。何かを失うということ、それはこんなにも人を傷つけるのだ、と。失うということは、希有なことではない。ふつうに日々を暮らしていたって、私たちはしょっちゅう何かを失う。だいじなものも、そうでないものも。生きれば生きるほど失うことに麻痺していく。何かをなくしても、たいしたことじゃない、と自分に言い聞かせる術を、私たちは知らず身につけていく。しかし、実際はそうではない。失うことは、慣れることのできるようなものではないし、麻痺してしまえるようなものではない。だいじなものを失えば失うほど、人は深く傷を負う。そのことを、私はこの小説を読んでいて思い出したのである。
(大島真寿美「水の繭」)

 

 

イメージ 2

 

 

イメージ 3

 

 

イメージ 4