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あらすじ
この出逢いは、人生を変える。走るように、飛ぶように生きた三十五年の熱き奔流。子規と漱石。二人の友情は、日本の未来をひらいた。こんな友が欲しかった。こんな男に、側にいてほしかった。明治三十五年、子規の余命が尽きるまで、誰もが憧れた二人の交際は続く。子規と漱石の友情を軸に、夢の中を走り続けた人、ノボさんの人生を描く。小説家・伊集院静がデビュー前から温めていたのは、憧れの人、正岡子規の青春。野球と文芸に魅入られた若者の姿は、伊集院静の青春そのものだった。三十年にわたる作家生活の中で、ずっと憧れ、書きたかった。書かなければ、先には進めなかった。伊集院静が贈る、待望の、感動の青春小説!

 

ひと言
本を読み終えた後、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第7回「子規、逝く」のDVDを観ました。
「子規逝くや 十七日の 月明に」ドラマのように 虚子には、天に昇っていく子規の魂がほんとうに見えたのだろう。9月17日に生まれ 十七文字の俳句に尽力し 十七日の月(立待月)の日に旅立っていった子規。もう新暦の時代なのに糸瓜忌(9月19日)の十九ではなく子規へのオマージュを込めた十七にこだわった虚子。
ノボ(升)さん、短い人生だったけれど、漱石、虚子、碧梧桐、秋山真之、そして律や八重 すばらしい人たちに出会えた人生でよかったね。東京の根岸の子規庵は行ったことがないから、今度東京へ行ったときはノボさんに会いに行くね。

 

 

ノボさんは筆を手にとると新しい半紙を出して、そこに文字を書いた。″子規″とある。秉五郎がそれを見て首をかしげた。「シ、キ、と読む。時鳥(ほととぎす)のことじゃ。あしはこの初夏から名前を正岡子規とした。五月の或る夜、血を吐いた。枕元の半紙に血がにじんでおった。それを見た時、時鳥が血を吐くまで鳴いて自分のことを皆に知らしめるように、あしも血を吐くがごとく何かをあらわしてやろうと決めた。それで子規じゃ」秉五郎は″子規″の文字を見た。話を聞いて、秉五郎は泣きそうになった。それほどまでの思いで、この人は何かをしようとしている。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

漱石は以前聞いた、或る話を思い出した。「これは山に登る人から聞いたんだが、山登りというのは、その山が高ければ高いほど途中の道は下りが多いそうだ」子規は漱石の顔をじっと見ていた。「興に乗っている時はきっと登山でいう登りのようなものさ。さして考えることもなく足が進むのさ。筆が止まる時は下りの道を進んでいて、ちっとも進んでない気がするんだと思うよ。高い山ほど下りが多いというのが本当なら、君が今書いているものが前より高いものという証拠かもしれないよ」「なるほど……」子規が漱石を見て白い歯を見せた。「そうか、今は下りの道を歩いとるから進んどるように思えんのじゃ。きっとそうじゃ」子規は漱石の言葉に得心がいったという顔をした。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

おそらく明治のこの時期、子規ほどの直観力と能力を持ち合わせた人はいない。時代の中に埋もれ、町衆の遊びとしかとらえられていなかった俳句を、今日、日本人の文芸のひとつの大きな基軸として成長させたのは子規の、この一風変わった直観力と、素直に己が愛するものを認め、それをたかめようとする清廉なこころがあったからだろう。
明治という時代の強さは、この清廉なこころ、自分の信じたもの、認めたものにむかって一見無謀に思える行為を平然となす人々がまだあちこちにいたことが挙げられるかもしれない。何よりも清廉、つまり損得勘定で動かなかったところに行動の潔さがあった。そして何より子規は己自身の仕事として、俳句の革新をしようとしたのである。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

鳴くならば満月になけほとゝぎす
漱石はわざわざ俳句をしたため、同じ鳥になるなら、満月(卒業して文学士の称号を得ることと考えられる)にむかって鳴いた方がいいという思いを句に込めた。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

彼は床の間の隅に置いてある花活けの瓶に目を留めた。―今日は何の花を活けるのじゃろうか。彼は子規の短歌の中で好きな一首を思いそれを口ずさんだ。『墨汁一滴』に掲載された歌であった。
 
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ、たたみの上にとどかざりけり……」

 

 

子規が仰臥して瓶にさした藤の花を見つめている姿が浮かんだ。あとわずかに畳の上に花が届かないと見つめるノボさんの胸の内が切なく思えた。子規は寝息を立て、碧梧桐は子規との日々の中に佇んでいる。碧梧桐の座す場所に、昨夜は伊藤左干夫がいて、その前夜は虚子がいた。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

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九月十八日は、子規は朝から痰がなかなか切れなかった。容態もかんばしくないのは見ていればわかった。……。碧梧桐はやって来ている顔ぶれを見て、律に虚子を呼ぶのかと尋ねた。するとすぐに子規が
言った。「高浜も呼びにおやりや」その一言で子規自身も何かを感じているのが周囲に伝わった。碧梧桐は掲南の家へ行き電話を借りて虚子を呼んだ。部屋に戻ると、子規が右手をやや上にむけて筆を使う仕草をした。碧梧桐と律が手伝って画板に貼った唐紙を目の前にたて子規に筆を持たせた。子規はその唐紙の中央に句を書いた。

 

 

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
書き終えると手から筆を放した。筆が落ちるのを碧梧桐が拾った。子規は痰を切ろうと喉を鳴らし、これを律が拭った。五分後、子規の手がまた動いた。碧梧桐がその手に筆を取らせた。律が画板を子規の前にたてた。同じ唐紙の一句目の左にさらに一句書いた。

 

 

痰一斗糸瓜の水も間に合はず
そうしてまた手から筆を放した。放すというより零れ落ちるふうだった。また五分後、子規の手が動いた。次は右端に一句書いた。

 

 

をととひのへちまの水も取らざりき
今度は子規がはっきりと筆を投げ捨てたのがわかった。転がった筆の墨が敷布を染めた。この三句を書き終えるまで子規は一言も発しなかった。勿論、周囲の人々も無言でこれを見守った。聞こえていたのは子規の痰を切ろうとする荒い息遣いと咳と最後に筆が敷布に転がった折のかすかな気配のみであった。辞世の句であることはあきらかだった。へちまの水は旧暦の八月十五日に取るのをならいとする。それができなかった無念を句に詠んだのだ。子規は書き終えた唐紙を一瞥もしなかった。かわりに周囲の者がそれを覗き込んだ。文字は所々かすれてはいるがしっかりした筆致であった。ただ最後の一句の仕舞いの文字が力なく尾を引いていた。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

通夜の支度がはじまるのだが、まだ宮本医師も姿をあらわさない。八重と律は子規を見つめ、やや左に傾いていた身体と蒲団からはみ出していた足に気付き、それを戻した後、二人して子規の上半身を持ち上げるべく子規の両肩を八重の両手が握りしめ顔を上げるようにした。その時、八重は息子の両肩を抱くようにして言った。「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」その言葉は九月の明る過ぎるほどあざやかな月明かりが差す部屋の中に透きとおるような声で響き渡った。八重の目には、それまで客たちが一度として見たことのない涙があふれ、娘の律でさえ母を見ることができなかった。その場にいた碧梧桐は黙したままうつむいていた。虚子は根岸の路地を歩きながら、先刻、碧梧桐と鼠骨に子規の死を報せるために急いだ路を淡々と歩きつつ、あの時にあまりに空が明るいのでつい仰ぎ見た秋の弓を思い出していた。子規の死を己の中に刻もうと発句したものをもう一度反復した。
 
子規逝くや十七日の月明に
碧梧桐は根岸の路地を急ぎ足で抜けていた。夜が明けていた。耳の奥から先刻の八重の言葉が離れない。その声に台所で口元をおさえるようにして嗚咽していた律の声が重なった。気丈な律があんなふうに泣く姿を碧梧桐は一度も見たことがなかった。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)