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あらすじ
仕事も、家も、家族までも失った男が旅にでた。最後のパートナーに選んだのは愛犬・ハッピーだった。自由気ままだったはずの「長いさんぽ」、その末にたどりついた場所とは。日本中が涙した大ヒット作、感動はコミックにとどまらなかった。深い物語性に胸打たれた『カフーを待ちわびて』『キネマの神様』の著者が、小説として心を込めて書き下ろす。望み続けるその先に、きっと希望があると思う。

 

ひと言
前にも書いたことがあるが、こういう犬の本を読むと小学生3、4年の時に拾ってきてしばらく飼っていた雑種の犬のことを思い出す。そんなに可愛がってあげたわけでもないのに…。俺の顔を見ると、うれしそうにシッポを振っていた姿がよみがえってくる。俺みたいな飼い主のもとで、幸せだったのだろうか?犬ってどうしてこんなに一途で、やさしく暖かいんだろう。「もっと、恐れずに、愛すればよかった」という言葉に、もう涙で前が見えなくなった。

 

 

 

もう長いこと、私はひとりだった。ひとりきりで、生きてきた。それは普通のことだったし、悲しいともさびしいとも思いはしなかった。あまりにも長いことひとりだったから、もはや「ひとり」を意識することもなくなっていた。初めて「ひとり」を意識したのは、もう三十数年もまえのこと 私が十八歳のとき、祖父が脳卒中で急逝した。庭先のひまわり畑で発見されたときには、もう冷たくなっていた。まったくあっけなく、言い残す言葉のひとつもなく、祖父は、私の前からいなくなった。けれど――。すべての血のつながりを失った私の傍らに、犬がいた。通夜の弔問客がひと通り帰ったあと、かつては祖母の寝室だった部屋に設けられた祭壇の前で、私はひとり、膝を抱えてうなだれていた。胸がもやもやと塞いでいたが、気が張っていたのか、泣いてはいなかった。あまりにも突然過ぎたので、自分が天涯孤独になってしまったことに、まだ気づいていなかったと思う。ふと、カリカリとサッシ戸を引っ掻く音がする。見ると、祖父がこしらえたテラスに、バンが訪れていた。のんきなことに、口にはボールをくわえている。私は戸を開け、テラスに出ると、思いのたけ、バンを抱きしめた。バンはしっぽをしきりに振って、私の頬をなめた。その拍子に、くわえていたボールがぽとりと落ちて、寂しい音を立ててテラスを転がっていった。バンはその後を追おうとしたが、私は彼を離さなかった。そのぬくもりにしがみつきながら、私は悟った。あの日、子犬を連れ帰った祖父は、このときがくるのを盧って、こいつを家族の一員に迎え入れたのだと。その瞬間、私の中でいっぱいに膨れ上がった何かが、かすかに揺れた。それは、静かにこぼれて、あふれ出した。バンを精一杯に抱きしめながら、私は泣いた。(ひまわり)

 

 

 

 
私は、見知らぬ町の電光掲示板で、あのニュースを目にした瞬間から、ずっと心に募らせていた問いへの答えを、見出したような気がした。すべてを失い、長い旅路の果てに、見知らぬ土地にたどり着き衰弱し、やがて死んでしまった人間と犬。誰に見とられることもなく、ひっそりと、朽ち果てた植物のように打ち捨て それでよかったのだろうか。彼らは、それで、幸せだったのだろうか。その問いに、私は、ようやく答えをみつけた。そう。それでよかったのだ。彼らは幸せだったのだ。最期まで寄り添い、互いを思い、恐れずに愛したのだから。私は、どうだろう。幼い頃に両親を亡くした。祖母を亡くし、やがて祖父も亡くした。
愛すれば、別れがつらい。求めて、与えられれば、失うのがつらい。だから、誰かを愛することに臆病になった。愛さなければ、傷つかずにすむ。望んでも得られないのならば、最初から望むまい。そんなふうに、自分の中で、ブレーキを踏み続けていた。私は、最後に残された家族である犬すらも、まっすぐに愛することができなかったのだ。私は、私の犬に何をしてやったか?馬鹿だな、私は。私は、もっと――。もっと、恐れずに、愛すればよかった。彼が、彼の犬をまっすぐに愛したように。
(ひまわり)

 

 

 

バンは、もう立っていられない、という様子で、私の足もとに身を投げた。ぱさりと乾いた音がした。どうしたっ、と私は身を乗り出し、バンの上半身を抱えようとした。すると、バンは、ふらふらと立ち上がり、何かを捜すようにして、あたりをうろつき始めたのだ。私は息をのんで、バンを見守った。もう、どこにいて、何をしているのかもわかっていないようだった。意識が混濁している。おぽつかない四つの足を引きずるようにして、バンは、口に泡を吹き、あたりの地面に鼻を押しつけ、蠢き回った。そして、吸い込まれるように犬小屋の後ろへ行ったかと思うと、再び私の足もとへと、よろめきながら戻ってきた。思いがけないものを口にくわえて。それは、野球のボールだった。少年の日々、祖父と、友人たちと、キャッチボールをして遊んだ野球のボール。ごくたまにだったが、それを使ってバンと遊んだこともある。私がボールを投げれば、バンは勢いよくその後を追った。すぐさまそれをみつけて、口にくわえ、私の手へと戻してくれた。さあもう一度。もう一度、あそんでください、とせがむように。そんなことも忘れて、少年の私は、そのボールをバンの鼻づらめがけて投げつけたりしたのだ。それっきりなくしてしまったはずのボール。それっきり忘れ去ってしまった、少年の日のボール。あそんでください……もう一度。そう言うように、バンは、くわえたボールをそっと私のほうへ差し出した。私は震える手で、それを受け取った。そして、何ごとかを祈るような心持ちで、彼の足もとにボールを放ってやった。もしも私の犬が、あの少年の日の彼だったなら、どんなに遠くヘボールを放っても、たちまち風になり、それをみつけに走っただろう。けれど、彼にはもう、ボールを拾い上げる力すら残っていなかった。バンは、一瞬、うれしそうな表情を浮かべたかのように見えた。かすかに笑ったようにすら、私には思えた。バンは、静かにくずおれた。その目は、私をみつめながら、ろうそくの灯火を吹き消すように、光を消した。そうして、私は、最後の家族を失った。ほんもののひとりぼっちになって、ようやく、私は自分自身に問うた。
 私の犬は、幸せだったか?もっと、遊んでやればよかった。もっと、たっぷり散歩させてやればよかった。無理矢理リードを引っぱらず、気の済むまで、ガードレールやら、縁石やら、電柱のにおいをかがせてやればよかった。そしてもっと、恐れずに、愛すればよかった――と。
(ある日のニュース)