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あらすじ
売れないアラサータレント「おかえり」こと丘えりか。唯一のレギュラー番組が、まさかの打ち切り…。依頼人の願いを叶える「旅代理業」をはじめることに。とびっきりの笑顔と感動がつまった、読むサプリメント。

 

ひと言
最近は原田マハさんばかり読んで泣かされています。どうしてこんなにあたたかい爽やかな本ばかり書けるんだろう。

 

 

そろそろ、旅も終わりに近づきました。今回、旅をしてみて、気づいたことがあります。なつかしくて美しい風景、ささやかだけどあったかい出会いがあるから、旅に出たいと思う。そして、「いってらっしゃい」と送り出してくれて、「おかえり」と迎えてくれる誰かがいるから、旅は完結するんだ。そんなふうに思いました。この旅は、真与さん、あなたがいたから、できました。「いってらっしゃい」と送り出してくれて、「おかえり」と迎えてくれる。だからこそ、私、旅人になれました。今度は、私が、そうしてあげたい。真与さん、あなたに「いってらっしゃい」と「おかえり」を、心をこめて言ってあげたい。
角館の人たちみんなが、あなたが来るのを待っています。あなたが来てくれたら、きっと言ってくれるはず。また来てくれたんだね、おかえりなさい。そんなふうに、笑顔で手を振って。真与さん。生きて、どんどん生きて、旅へいってらっしゃい。大好きな人と、青空の下、満開の桜の下、生きて、笑って、旅をしてください。私は今日、旅をしました。あなたがもう一度旅立つ日のために。(6)

 

 

私は、膝の上のトートバッグから藤色の袱紗を取り出して、白いテーブルクロスの上に置いた。それから、悦子会長を正面にみつめると、言った。「残念ながら、お望み通りの『成果物』を持ち帰れませんでした」 一瞬、空気が張り詰めた。「……だめだったの?」孫娘の受験の合否を開くように、素の表情で悦子会長が訊いた。その様子がなんだかかわいらしくて、私は思わず微笑んだ。「『空になった袱紗を成果物といたしましょう』。確か、そのようにご依頼を受けました。……その通りにはできなかったので」そう言って、私は、悦子会長のほうへ袱紗を滑らせた。会長は、真っ白なクロスの上に浮かんだ藤色の袱紗に視線を落とした。両手に取ると、ガラス細工に触るように、そうっと袱紗を開いた。「あ……」短い驚きの声が、悦子会長の口から漏れた。その様子は、お墓の前で袱紗を開けたときの真理子さんに、不思議なくらいそっくりだった。袱紗は、空ではなかった。中にあったのは、一枚の和紙と、もみじのひと葉。和紙に書かれていたのは、たったひとりの姪からのメッセージ。

 

 

悦子おばさまへ  旅をなさいませんか。 
私の母と娘がやすらかに眠る場所へ。
新しい人生を歩み始めた私と、ご一緒に。  
真理子
 
悦子会長は、しばらくのあいだ、真理子さんが作った和紙、あたたかな色合いとやさしい手触りの一筆箋に視線を落としていた。もみじのひと葉に、そっと指先で触れる。震えるまぶたを閉じた瞬間、ひと筋の涙が頬を伝って落ちた。会長を囲む人々は、何ごとが起こったのかとざわつき、目をみはったが、袱紗の中に手書きのメッセージともみじのひと葉があるのを認めると、悟ったように静まり返った。それは、きっと、悦子会長が、長いあいだ待ち望んでいた瞬間だった。母が、白分が、いつかきっともう一度会いたいと願っていた、幼い妹。その妹の忘れ形見。せつない思いが、ようやくつながった瞬間だった。ハンカチで目頭を押さえ、悦子会長が言った。「あなたは、ほんとうにもう、いったい何をしでかすのやら。旅人『おかえり』は、いつもこんな調子なのかしら?」うるんだ声で「はい……」と答えようとすると、「こいつはいつも、この調子なんで。待ってるほうはちっとも気が休まりませんや。ったく、心配ばっかりかけやがって」横から社長が口をはさんだ。完全に、涙声だ。(12)