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あらすじ
法隆寺・薬師寺復興で名を馳せた西岡常一氏唯一の自伝に、職人や仏教関係者、文化人らのインタビュー・座談会を加え、「最後の宮大工」が遺した口伝を立体的に浮かび上がらせる。「木と話す」とはどういうことか。

 

ひと言
先日、薬師寺を訪れ、金堂の薬師三尊のお姿を拝んでいると、西岡常一さんのことが思い出され、今度図書館に行ったら、以前読んだことのあるこの本をまた読んでみようと思いました。
一度火を浴びた薬師三尊がもう一度焼けたら大変なことになると防火対策を優先させたために木造での金堂復興とはならず、鉄筋が3割となってしまった金堂。「木に竹をつぐ」ということはあるけれども、「鉄筋コンクリートに木をついでますねん」「しゃあないさかいに、わしの考えるだけのつぎ方はしました」と言った西岡常一さん。
私は専門的なことは全くわかりませんが、飛鳥、奈良時代の建物を鎌倉や江戸時代の素晴らしい技術で修復したものが現代にその名を残しているように、今から五百年、千年後、昭和という時代に西岡常一という棟梁が素晴らしい技術で金堂を復興させた。昭和の時代に建てた西塔が東塔と同じく国宝として認められる日がくることを祈っています。
『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』という映画が2012年に作られたようなのでそれも見てみたい。

 

 

「おまえは、稲を作りながら、稲と話し合いをせずに、本と話し合いをしていた。稲と話し合いできる者なら、窒素、リン酸は知らなくても、今、水をほしがっとるんか、今、こういう肥料をほしがっとるちゅうことかが、分かるんや。本と話すから、稲が言うこときかんのや」そして、「これからいよいよ、おまえも大工をするんやが、大工もその通りで…」と、話が核心に入った。「木と話し合いができなんだら、本当の大工にはなれんぞ」―木と話す。これだったのである。そのことを体得させるために祖父はわざわざ、私に農業の修業をさせたのだった。……。大正十四年のある日の夜、食膳に赤飯と小さな鯛があった。大工の道に入る、ささやかな入門式だった。
(第一章 千年先見通す「口伝」の重み)

 

 

すると棟梁は「石川さん、ぼちぼちやりなはれ。要領よくおぼえたらすぐに忘れるからな。とにかく基本をしっかりおぼえるこっちゃ。そしたら後はいくらでもおぼえられる」と言ってくれました。この言葉は、今でも記憶に残っています。(第四章 受け継がれる「口伝」)

 

 

私はその時、何としても西の塔を建てなければという熱意だけは持っていました。西岡さんに話すと、「安田さん、願を持っていなはったらできまっせ」と言って励ましてくれました。「願心」をいつも持ち続ける。すぐにできなくても、やりたいな、やりたいなということを思い続ける、これが大事だと思っています。だれしもが、いいことをやろうと思えば、それを思い続けること。(第五章 受け継がれる「こころ」)

 

 

結局は、一番おやじが嫌うてた「知識として持ってても知恵として活かせないような知識」はあってもしかたないやないかと思います。これこそが、まさにおやじの口伝やと思うんです。(第七章 父親として)