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あらすじ
親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。三部作の終篇であると同時に晩年における一連の作の序曲をなす作品。

 

ひと言
前に読んだ「それから」で三部作を読み返すと書いたが、実はこの「門」は昔、読みかけて途中で投げ出した作品である。今回読んで、この作品は40歳以上の既婚者になってから読んだ方がより味わい深く感じられていいと思った。お互い顔が見えていないけれど、麗らかな縁側での宗助と御米の会話で始まり、「うん、しかしまたじき冬になるよ」という台詞で終わる設定も、この作品を象徴していて とても印象的だった。

 

 

自分は門を開けてもらいに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」という声が聞えただけだった。彼はどうしたらこの門の閂を開ける事が出来るかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事が出来なかった。従って自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なる所がなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。……。
彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざ其所まで辿り付くのが矛盾であった。彼は後を顧みた。そうして到底また元の路へ引き返す勇気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固な扉が何時までも展望を遮ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
(二十一)