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あらすじ
長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している。実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。破局を予想しながらもそれにむかわなければいられない愛を通して明治知識人の悲劇を描く、『三四郎』に続く三部作の第二作。

 

ひと言
「ビブリア古書堂の事件手帖」の本とドラマに影響されて、漱石の三部作を読み返そうと思い立った。ただし三四郎はパス。10代のときに読む漱石、20代30代で読む漱石、そして50を過ぎて読む漱石。この「それから」だけに限らず、漱石の作品は読むたびに感じ方・捉え方が変わっていく。このことこそが文豪と呼ばれる所以なのかもしれない。

 

 

「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちやんだから、品の好い様なことばっかり云っていて、――」代肋は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮ぎった。「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麵麭(パン)を離れている」平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺った。そうして、「何故」と聞いた。「何故って、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でないもの」「そんな論理学の命題みた様なものは分らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云ってくれ」「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪(にく)いと云う意味さ」「僕の考えとはまるで反対だね。食う為めだから、猛烈に働らく気になるんだろう」「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」「無論食う方さ」「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麵麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」「まだ理論的だね、どうも。それで一向差支ないじゃないか」「では極上品な例で説明してやろう。古臭い話だが、ある本でこんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱えたところが、始めて、その料理人の拵えたものを食ってみると頗る不味かったんで、大変小言を云ったそうだ。料理人の方では最上の料理を食わして、叱られたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終褒められたそうだ。この料理人を見給え。生活の為に働らく事は抜目のない男だろうが、自分の技芸たる料理その物のために働らく点から云えば、頗る不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか」「だってそうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい」「だからさ。衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るものじゃないんだよ」(六)

 

 

電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代肋の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと?の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。(十七)

 

 

「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義俠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎を取られて、君の前に手を突いて詫まっている」代助は涙を膝の上に零した。(十六)