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あらすじ
大衆芸能のなかに隠された仏教文化とは?意外に知られていない歌舞伎や能などへの仏教の影響。日本人の精神文化を追究し続ける著者が、密教や浄土教そして神道や道教など多様な庶民信仰の姿を大衆芸能に探り、現代に息づく宗教の諸相を明快に解き明かす。

 

ひと言
新書をもっと読まないと と思って図書館の新書の棚を探していると「弁慶はなぜ勧進帳をよむのか」というおもしろい題名の本を見つけた。読んでいると、2月3日にお亡くなりになった十二代目團十郎さんのことが思い出されて、第3章まで読むと、大好きな「勧進帳」のDVDとNHKの追悼番組の團十郎(弁慶)と海老蔵(富樫)の親子共演の「勧進帳」の録画を立て続けに観た。
あまりにも早すぎる死にご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

さて、「勧進帳」の最初の見せ場は、富樫左衛門が弁慶一行を偽山伏と怪しみ、もし本物であるならば携えている勧進帳を読めと命ずる場面である。そこで弁慶が「心得て候」といって、白紙の勧進帳を取り出し案文して読み上げるものであるが、まずはその台詞を紹介しておきたい。

 

 

 

それつらつらおもん見れば、大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。爰(ここ)に中頃、帝おはします。御名を聖武皇帝と申し奉り、最愛の夫人に別れ追慕やみ難く涕泣、眼にあらく、涙玉を貫く、思ひを先路に翻へし上求菩提の為、盧遮那佛を建立仕給ふ。然るに去んじ治承の頃焼亡し畢(おわ)んぬ。かほどの霊場絶えなんことを歎き、俊乗房重源勅命を蒙って、無常の観門に涙を落し、上下の真俗を勧めて、彼の霊場を再建せんと諸国に勧進す。一紙半銭奉財の輩は、現世にては無比の楽に誇り、当来にては数千蓮華の上に坐せん。帰命稽首、敬って白す。
(第2章 勧進帳と弁慶と山伏)