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あらすじ
列島を揺るがせた未曾有の震災と、終わりの見えない原発事故への不安。今、この国が立ち直れるか否かは、国民一人ひとりが、人間としてまっとうな物の考え方を取り戻せるかどうかにかかっている。アメリカに追従し、あてがい扶持の平和に甘えつづけた戦後六十五年余、今こそ「平和の毒」と「仮想と虚妄」から脱する時である----深い人間洞察を湛えた痛烈なる「遺書」

 

ひと言
坂口 安吾のあの堕落論?「新」って…、へぇ石原慎太郎が書いてるんだ。あまり新書を読まないのだが堕落論と石原慎太郎で借りて読もうと思った。複式簿記の導入は他の人の本を読んでもよく出てくるが、どうしたらこの国の会計制度を変えることができるのだろう。東野圭吾もいいが、やっぱりもっと新書を読むようにしないといけないなぁと思った。

 

 

ついでにいえば今日の日本経済の低迷の原因はいろいろあるが、肝心の問題についての議論が一向にない。それは国の会計制度の問題です。ここでこまごま申す暇もないが、この日本には従来、国家としてのバランスシートが無いのです。そんな馬鹿なと思う人が多かろうが、実際に無いものは無い。せいぜい大福帳の域を出ない。それはこの日本は先進国の中で唯一、国家の会計制度が単式簿記でいるからです。どこの国も発生主義の複式簿記でやっているのに日本だけは昔ながらの単式簿記でいる。日本の周辺の国家で単式簿記でやっているのは北朝鮮とフィリッピン、そしてパプアニューギニアくらいのものです。それだからこの国には財務諸表なるものが存在しない。財務諸表とは企業でいえば投資家や債権者といった組織の外部の利害関係者に財政状態や経営成績に関する情報を開示するために定期的に作成される書類です。企業の場合には投資家や債権者だが、国家の場合には税金を払っている国民に他ならない。しかしその財務諸表がないのだから、国民は自分かちが納めた税金がどんな具合に使われているのかがさっぱりわからない。民主党政権になって官僚が隠している厖大な金があるはずだ、無駄な税金使用が山とあるはずだと、事業仕分けなどという政治興行を打ってみせているが、あんまり効果は無いし隠されているものが全て明るみに出てくることもない。最初から国家の会計制度を正常なものにして、きちんとした財務諸表があればあんな不毛な政治ショウをしなくてもすむのですが。ならばなぜ他の先進国なみに、発生主義の複式簿記にしないのかといえば、単式簿記の方が国民の目をごまかしやすいからに他ならない。つまり、政治家が何をいおうが役人たちが実質的にこの国を支配していくためには、国民の目をごまかしやすい会計制度の方が都合がいいからです。(一章 平和の毒)

 

 

 
評論家の福田和也が以前『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』という優れた論文を書きました。彼はその中で、「幼稚な人間とはIQの数値が低いとか、多くの人が知っていることを知らない、などということではない。何が肝心かということが分からない者、肝心なことについて考えようとしない者を幼稚というのだ」といっていましたが、こと我々の生活を容易に左右する経済、財政に関して、政治家を含めて日本人は幼稚としかいいようありません。そんな日本人を笑っているのは、何が肝心かを知っていて隠し通している国家の官僚たちでしょう。
(一章 平和の毒)