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あらすじ
中学二年生のよっちゃんは、祖父母が営むうどん屋『峠うどん』を手伝っていた。『峠うどん』のお手伝いが、わたしは好きだ。どこが。どんなふうに。自分でも知りたいから、こんなに必死に、汗だくになってバス停まで走っているのだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。そして『峠うどん』の暖簾をくぐるたくさんの人たちが教えてくれる、命についてのこと。

 

ひと言
角田光代さんを読んだ後、重松清さんを読みたくなった。棚を探していると、この本を見つけた。詳しくは知らない本だが、題名からして今読みたい本なんだろう。重松さんの本は、人が近くにいるときではなく、寝る前にふとんに入ってか、まわりに人がいないときに読むように気をつけている。「第七章 本年も又、喪中につき」は「神様のカルテ」を読んでいるみたいで、すごく暖かさや優しさにつつまれた気分になる作品でした。

 

 

「六曜は先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順番で、旧暦の月の数字と日の数字を足して六で割り切れれば大安、六で割ったときの余りが三なら友引」――高校受験には絶対に出題されない、と両親に断言されるまでもなく、わかっている。ちなみに、旧暦と六曜は規則正しい対応をしていて、毎月一日の六曜は固定されている。一月と七月は先勝から始まるし、二月と八月は友引から始まる。三月と九月は先負で、四月と十月は仏滅で、五月と十一月が大安、六月と十二月が赤□というわけだ。
(第一章 かけ、のち月見)

 

 

「中村さんっていうひとも優しいけど、トクさんだって優しい。和子さんは幸せだねえ」「会いたがってるのに会わなくても?」「見送るひとは、死んでいくひとに後ろ髪を引かせちゃだめなんだよ。いろんな後悔や、よけいな思い出や、背負いきれないものを、最後の最後に乗っけちゃだめなの。和子さんが認知症だろうと、認知症がなかろうと、同じだよ。どんなにトクさんにもう一回会いたがってても、そこで会ったら、ぜんぶおしまい………」トクさんが会いに行かなかったおかげで、和子さんは正真正銘、中村さんと長年連れ添った夫婦として、人生を閉じることができる――ほんとうにそうなったのだから、やっぱりおばあちゃんの言うことは正しかったのだ。
(第四章 トクさんの花道)

 

 

「でも、おじいちゃん、みんなのために柿の葉うどんのつくり方を教えるとか、けっこういいところあるんじゃない?」「なに言ってんの、おじいちゃんにはいいところしかないんだよ」きっぱりと言った。孫娘のくせにそれくらいわかんないのかい、という追い打ちの一言も、耳には聞こえなかったけど、胸に響いた。
(第六章 柿八年)

 

 

 

榎本先生は毎日ずっと奥さんと二人で過ごしている。午後の暖かい時間に、奥さんの車椅子を押して散歩に出かける。奥さんの体調と天気の良い日には小一時間もかけて、ご近所をのんびりと一周する。その姿を見るのを、ご近所のひとたちはみんな楽しみにしていたのだ。タイミングを見計らって外に出て、二人が通りかかるのを待つひとがいる。わざわざ同じ散歩ルートを逆向きに歩いて、すれ違おうとするひともいる。二人の姿を見かけると窓を開けて挨拶をするひと、手を振るひと、ただにこにこと微笑んで会釈をするひと……。でも、誰も長話はしない。ニ人を呼び止めることもない。先生が挨拶に律儀に応えようとすると、かえってみんな恐縮して、いいですいいです、立ち止まることなんてありません、ほら早く車椅子を押してあげてください、と身振り手振りを交えてお願いするほどだった。みんな先生と奥さんの邪魔をしたくないのだ。夫婦水入らずで過ごすひとときを、町ぐるみで静かに応援したいのだ。平日の昼間は仕事のあるわが家の両親も、土曜日と日曜日には公園まで出かけた。「いろんなウチのダンナさんが来てたぞ、ざっと見ただけで二十人はいたな、うん」とお父さんは帰宅するなり感心した顔で言って、でも微妙に悔しそうに「俺の印象、ちょっと薄くなっちゃったかもしれないな……」と首をかしげていた。お母さんは、すっかり痩せてしまった奥さんを見て、涙をこらえるのが大変だったらしい。おばあちゃんも、
……。……。……。
「じゃあ、先生も納得してるってことなんですか?」「親父から連絡が来たんだ」やるだけのことはやった。住み慣れたご近所を毎日散歩して、お世話になったひとたちと挨拶を交わし、看護師の原さんの手伝いを受けながら夫婦水入らずの毎日を過ごした。それでいい。もう、それだけでいい。医療センターでお世話になるひとたちに、しっかりと挨拶ができるうちに――と、奥さんが入院のタイミングを決めた。榎本先生も、夫としては名残惜しくても、医師として、この時期を逃すと奥さんの望みを叶えるのは難しくなるだろう、と判断した。「でも、不思議なんだ」健生さんが教えてくれた。ガンは確かに進行しているし、体の衰弱も進んでしまった。治療らしい治療はなにもしていない。それでも、先生がカルテや看病日誌に記した体のさまざまな数値は健生さんが想像していたよりずっとよかったし、なにより奥さんの気持ちがしっかりしている。「たいしたものだよなあ」健生さんはしみじみと言って、「夫婦の力なのか、町医者の力なのか……どっちなんだろうな」と、くすぐったそうに笑った。
(第七章 本年も又、喪中につき)