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あらすじ
7世紀半ばから8世紀初めの乱世といわれる時代に実在した、修験道の開祖といわれる役行者のまつろわぬ生涯を描く。鬼神をあやつり、鳳凰のごとく飛翔するという幻想的な話が伝わる役行者の実像に迫る。
白村江の大敗から壬申の乱へ。動乱の倭国を背景に繰り広げられる賀茂(神)の民の自立の戦い。中世最大の呪術者にしてわが国修験道の開祖=役行者の実像に迫る待望の続編。
古代史の大きな謎の一つとされる持統天皇の吉野行幸。その頻繁な行幸はなぜ行われたのか。持統が欲した力とは。女帝に憑依した蘇我一族の怨霊と死闘する修験道の開祖=役行者の素顔。

 

ひと言
図書館でこの3冊を見つけ、こんな本があるんだとうれしくなって思わず借りた本。異界の人々 P335 神の王国 P322 夜叉と行者 P346 3冊計1003ページ。続 神の王国ぐらいからおもしろくなってくる。でも「小角」の読みがわからない人にとっては、おもしろくもなんともない本だ。ふーっ疲れた。
「おん・ばさら・くしゃ・あらんじゃ・うん・そわか」
(金剛蔵王権現の真言)
 
「息を鼻や口でしてはならぬ。下腹の底の方でするのだ。先ず最初に鼻の中へ軽く息を吸い込み、それを下腹に貯える。いっぱいになったと思ったら、呼吸を止めて、心の中で百二十まで数える。それが終わったら、今度は腹の底に溜まった息を少しずつゆっくりと吐いていく。ただしここで、自分の吸う息や吐く息の音が、自分の耳に聞こえてくるようでは駄目だ。鳥の羽を鼻や口の前に置いても、それが少しも揺れないように修行をするのだ。一応これが出来るようになったら、次は数える数を増やしていく。三百、五百、千というようにな。これが出来るようになると、目の前の敵も吹き飛ばせる」小角は、自分の修行時代を思い出したのか、懐かしむように遠くへ目をやった。おそらく、その視線の先には天へ昇った自覚の姿が映っているのであろう。 「胎息法」の説明が一通り済むと、次は刀印による破邪の法である。
臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前  りん ぴょう とう しゃ かい じん れつ ざい ぜん」
の九字の真言を唱えながら、刀を模した印(手刀)をもって空間を縦横に斬り、邪を払う。これは、邪を払う一番簡単な技法であり、自ら作った刀印を全くの真剣と感じる想像力と精神の集中力が要求される。これが出来るようになれば、自分が危機に追い込まれても、その場の邪悪な気配を切り裂いて退散させ、身の安全を図ることが出来る。(『続 円小角 神の王国』 一 倭国大敗)

 

 

また、不思議なのは、『日本書紀』に、天智の陵墓の記載がないことである。神武から始まって持統で終わる『日本書紀』歴代天皇の中で、陵墓の場所がはっきりと記されていないのは、持統を除いてこの天智だけである。持統については、『日本書紀』編纂時にまだ生存されていたから、記す必要がなかっただけのことである。『日本書紀』が完成したのは、七二〇年である。天智の死後五十年も経っていない。まして、『日本書紀』は二十年以上の年月をかけて完成されたものだろうから、編纂時には天智の死(失踪)はもっと生々しい形で伝えられていた筈だ。そうなれば、遺体もなく死亡したかどうかも定かではない天智の陵墓を造ることは憚られたにちがいない。(『続 円小角 神の王国』 四 帝、失踪)

 

 

「王国の神よ、我の前に示現し給え!」小角の思念が祈った。と、突然、小角の端座している岩が揺れ出した。そして、次の瞬間、小角の背後にある龍の岩穴から火炎が吹き上がった。轟音が、山頂を揺るがしている。火炎が更に激しくなる。岩穴が、ばりばりと音を立てている。その様を、小角の思念ははっきりと捉えている。再び、火炎が吹き上がった。―現われた!それは、目をらんらんと輝かせ、牙を剥き出し、右手に持った金剛杵を高く天に突き上げ、左手で剣印を結んだ青黒色の憤怒の像であった。―― 大神、不動明王、金剛童子!小角の思念は叫んだ。饒速日と不動明王、金剛童子が合体したのだ。その像は、小角の思念が見守る中を、虚空めざして昇天していった。  ……
小角は、新しく示現した神を金剛蔵王権現と名づけ、その姿を桜の木に刻んだ。ちなみに、権現とは仏が化身して神となって現われることを言う。神と仏の習合こそ、小角の最も願ったことであり、これで、小角がめざす民人済度に、最も相応しい強力な神が現れたことになる。神と仏……それはこれまで小角を育んでくれた偉大な力であり、同時にその力は五鬼童と自覚にも通じていた。金剛蔵王権現は、神の王国の守護神となった。
(『続 円小角 神の王国』 六 神の王国)

 

 

諸王子、諸官、従者らを前にして、鸕野は言った。
「本日この日より、この社の地を霊地とし、吾を除き何人たりとも足を踏み入れてはならぬ禁制の地とする。亡き帝と吾は、この小山に立ちて、天の下を統べることを誓い合った。幸いにして、吉野の神々のご加護により、先の帝は倭国の大王位に即くことが出来た。一滴の水が流れて、大河となる。この霊地より発した先の帝と吾の祈りは、今や倭国を統べる大きな力となり祈りとなった。この地を除きて、他に霊地があろうや。先の帝の御霊が鎮まるこの地は、吾の王統のつづく限り、禁足の霊地となる。しかとこのことを胸に刻み、都にありては、朝夕この地に向かい手を合わせよ」重々しい口調であった。列席していた誰の耳にも、鸕野のこの地に寄せる思いの深さが伝わった。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 四 霊地)

 

 

鸕野大后が即位して、天皇と号した。持統天皇である。……
ふくよかな白い頬、秀でた額、切れ長の目、小さく豊かな唇……大后鸕野は確かに生まれ変わって持統女帝となった。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 五 永遠の都城)

 

 

持統の一行は、吉野に向かった。最早、天皇ではない。従者も、広売ら側近の侍女と大舎人のみであった。……思えば、この吉野行きも今度で三十二回となる。天武と共に吉野に逃れた一回を含めれば、三十三回となる。多い時は、年に五回も通ったことがあった。恐らく、そのお陰であろう。時には心身衰弱の危機もあったが、それを乗り越えて、新益京造営と軽の即位という大事業を成し遂げることが出来た。
(『外伝 円小角 夜叉と行者』 七 深謀)

 

 

そして、ほぼ一年後の大宝三年十二月十七日、持統の遺骸は、飛鳥の岡で火葬にふされた。歴代の天皇(大王)の中で、火葬となったのは持統が初めてであった。自らの肉体を焼き捨てて、骨となる。死してもなお、持統は激しい女であった。永遠の生命を願って吉野に通った持統も、僅か五十八歳を一期としてこの世を去った。持統にとって小角とは一体何であったのか?永遠に分からない謎を残したまま、持統の遺骨は、天武の眠る大内山陵に合葬された。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 七 深謀)