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あらすじ
豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり…。命を区切られた男の気高く凄絶な覚悟を穏やかな山間の風景の中に謳い上げる、感涙の時代小説。
(2011年 第146回 直木賞受賞)

 

ひと言
たくさん出てくる登場人物を咀嚼しながら、ところどころ「ん?」と思うようなこともありましたが、今年の1冊目にふさわしい本でした。

 

 

今年も たくさんのいい本と出会えますように♪

 

 

「さて、それは――」言葉を濁して秋谷は、「それがしの想いでやっていることもございますれば」間を置いて静かに言った。お由の方は胸が騒いだ。秋谷はどのような気持ちで想いと口にしたのであろうか。「想いとは――」それが、自分の胸の奥に大切にしまっている想いと重なるものであってほしい。お由の方は声をひそめて訊ねた。「若かったころの自分をいとおしむ想いかもしれませぬ」しみじみとした口調で秋谷は答えた。「さようですね。わたくしも、あのころのわたくしをいとおしく思います」かろうじて、お由の方は言葉を返した。(九)

 

 

「薫の祝言と郁太郎の元服も見届けることができ申した。もはや、この世に未練はござりませぬ」「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」慶仙は顔をしかめた。秋谷は片頬をゆるめた。「ほう、覚悟が足りませぬか」「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」「なるほど、さようなものでござりまするか」(二十二)

 

 

「もしも違う道を歩めば、かように悲しいお別れをせずにすんだのやもしれませぬ」涙を浮かべて見つめる松吟尼を、秋谷は愛惜の情を湛えた眼差しで見返した。「違う道を歩みましょうとも同じであったのではありますまいか。若いころの思いを、ともに語れるひとがこの世にいてくださるだけでも嬉しゅうござる」(二十二)