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あらすじ
近所の大型ショッピングセンターの開店に気を揉む父、祖母の入院の世話に忙殺される母、昔の恋人と付き合いはじめた既婚者の長女、大学留年中の二女、デビュー作で文学賞受賞したものの次回作が書けずにいる三女、そして物語は大学浪人中の四女の目を通じて語られる。不安定な立場にいるからこそ、心の待避場所が必要だと四女は気づく。それが最も適しているのは一つ屋根の中で暮らした家族なのだ。

 

ひと言
私の好きな作家の角田さん。里々子が家の物干し台のベンチから見上げる飛行機の記述がとても意味深く印象に残った。
悪いとされることがよいことを運んでくる場合もあるし、よいと思ったことが不幸の入場券だったりすることもあるんじゃないか。不幸だ、とか、幸せだ、というのは、線ではなくて一瞬の点でしかなくて、その点が、どんな線を描き出すかはだれにもわからない。(P15)

 

 

「どういう場所?」意味がわからず訊くと、素子はちいさな抑揚のない声で話した。「なんていうか、中間みたいな場所っていうか。おばあちゃんにはきっとミハルちゃんが見えたんだよ。それで本当にミハルちゃんはお見舞いにきてたんだよ。私はときどき、私にもそういう場所があればいいと思う。そこにいくとさ、喧嘩別れしたボーイフレンドとか、幼稚園のとき仲良かったモモちゃんとか、前うちにいたナナとか、そういうの、全部ちゃんといるの。それでわいわい話してさ、飽きたらこっちに帰ってくる」「好きな人がいなくならない場所ってこと?」……。「ううん。嫌いなやつらも全部いる。中西黎子とか、数学のキヤ婆とか、そんなのも全部いて、だからそこにずっといると、いやになって、でもこっちに戻ってくるとなつかしくて、そんなふうに行き来できる場所ってこと」ひょっとしたら、私は去年まで、そんな場所に、実際にいたのかもしれないと思った。そこに飽きてここにきて、素子の言うとおり、なんとなくなつかしくなって戻ろうとしても、けれどもう、戻れない。戻れないということを、何度も何度も知らされている。そんな気がした。……。……。素子の言う「中間みたいな場所」には、祖母の谷島酒店もちゃんとあるのに違いない。私はもう二度とそこに戻れないにしても、いつか、いつかひょっとしたら、寿子が、言葉でその場所をありありと存在させてくれるかもしれない、と思った。(P276)