イメージ 1 
 
あらすじ
「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。質・量ともに坂本龍馬伝の最高峰である。坂本龍馬像を決定的なものにし、現在、龍馬を語る上で本書の影響を受けなかったものというのは皆無といってよく、また、坂本龍馬が好きだという人のほぼ全てが何らかの形で影響を受けている作品である。

 

ひと言
司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」(全8巻)に挑戦! 9月7日読了!
各巻ごと印象に残った個所を書き留める。
「学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。詩もおもしろいが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。男子たる者は、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類のない大詩編ではないか」といった。むしろ松陰という人は、小五郎にこれだけのことを教えたにすぎなかった。が、このことばが、桂小五郎の一生を決定してしまった。(第1巻 二十歳)

 

 

「うまく言えん」竜馬にはわかっている。花は咲いてすぐ散る。その短さだけを恋というものだ。実れば、恋ではない。別なものになるだろう。これでいい、と竜馬はおもっている。利口なお初も、それを知っているのだ。「ちゃんと言ってください。女は言葉に出していってくださらなければわからないのです。いってくだされば、そのお言葉を一生の宝にします」といってからお初は何かを懸命にこらえていたが、……「あんた、きっとえらくなるわ」「えらくはならん。しかし百年後に、竜馬という男はこういう仕事をした、と想いだしてくれる人がいるだろう。そんな男になる」(第2巻 萩へ)

 

 

「日本では、戦国時代に領地をとった将軍、大名、武士が、二百数十年、無為徒食として威張りちらしてきた。政治というものは、一家一門の利益のためにやるものだということになっている。アメリカでは、大統領が下駄屋の暮らしの立つような政治をする。なぜといえば、下駄屋どもが大統領をえらぶからだ。おれはそういう日本をつくる」竜馬のこの思想は、かれの仲間の「勤王の志士」にはまったくなかったもので、この一事のために、竜馬は、維新史上、輝ける奇蹟といわれる。めしを食いおわると、竜馬は大刀をとりあげて、部屋を出た。「どこへいらっしゃいます」おりょうは、肩すかしを食ったようなおもいである。「兵庫へ。--」(第3巻 京の春)

 

 

「竜馬、この塾があたらしい日本を動かす軸になるぜ」勝は、激しい音をたてて、たくあんを噛んだ。竜馬はこの期間、国もとの乙女姉さんに手紙を書いている。手紙の末尾が、「エヘンエヘン、かしこ」でおわる大得意の文章である。「このごろは天下無二の大軍学者勝麟太郞といふ大先生の門人となり」と、大が二つも重なって、乙女姉さんをこけおどししている。その大先生の門人だから自分も偉くなったものだ、というところであろう。「ことのほか可愛がられ候て、まづ客分のやうな者になり申候。近きうちには、大坂より十里余りの地にて兵庫と申す所にて大きに(大いに)海軍を教へ候所をこしらへ、また四十間五十間もある船をこしらへ、弟子共にも四五百人も諸方より集まり候事」
「達人(自分のこと)の見る眼は恐ろしきものとや、つれつれにもこれ有り。猶、エヘンエヘン、かしこ。竜」
高知城下本町筋一丁目の坂本屋敷でこの手紙を見た乙女姉さんは、ころがってわらった。(第4巻 神戸海軍塾)
 
「金庫にかねはいくらある」ときくと、ざっと五百両はあるという。「それをみなに分配しな」そう命じた。しかし陸奥は不服だった。「塾は解散してもこれから一旗あげるんでしょう。その資金に必要ですよ」「ばかめ」竜馬はぎろりと陸奥をみた。「塾生の大部分は藩に帰る。残留してわしについてくるのは一割ほどの人数だ。その一割ほどの人数が金を独り占めした、と評判がたてられてたまるか」「しかし」「も、くそもない。さっさと分配するこった。なるほど浪人会社をおこすにはこのさき金が頼りだが、金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然とあつまってくるさ」「なるほど」「そういう不思議なものが、会社(カンパニー)というものだ。五百両ばかりの金に目がくらんで天下が取れるか」「ははあ、それもそうだ」陸奥は、愉快になってきた。(第5巻 摂津神戸村)

 

 

すでに薩長は、歩みよっている。……。あとは、感情の処理だけである。桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。この段階で竜馬は西郷に、「長州が可哀そうではないか」と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。奇妙といっていい。これで薩長連合は成立した。歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。竜馬の沈黙は、西郷によって破られた。西郷はにわかに膝をただし、「君の申されるとおりであった」と言い、大久保一蔵に目を走らせ、「薩長連合のことは、当藩より長州藩に申し入れよう」といった。大久保は、うなずいた。締盟の日が、即座にきまった。あすである。(第6巻 秘密同盟)

 

 

「八策ある」と、竜馬はいった。海援隊文官の長岡謙吉が、大きな紙をひろげて毛筆筆記の支度をした。「言うぜ」竜馬は長岡に合図し、やがて船窓を見た。
「第一策。天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事」
この一条は、竜馬が歴史にむかって書いた最大の文字というべきであろう。…………
「第二策。上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」
この一項は、新日本を民主政体にすることを断乎として規定したものといっていい。余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている。
「第三策。有材の公卿・諸侯、および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事」
「第四策。外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約(新条約)を立つべき事」
「第五策。古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事」
「第六策。海軍よろしく拡張すべき事」
「第七策。御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事」
「第八策。金銀物貨、よろしく外国と平均の法を設くべき事」
後藤は、驚嘆した。「竜馬、おぬしはどこでその智恵がついた?」「智恵か」思想の意味である。竜馬は、苦笑した。後藤のような田舎家老にいっても、ここ数年来の竜馬の苦心は理解してもらえない。
「いろいろさ。」(第7巻 船中八策)

 

 

西郷は一覧し、それを小松、大久保にまわし、ぜんぶが一読したあと、ふたたびそれを手にとり、熟視した。(竜馬の名がない)西郷は、不審におもった。薩長連合から大政奉還にいたるまでの大仕事をやりとげた竜馬の名は、当然この「参議」のなかでの筆頭に位置すべきであろう。たとえ筆頭でなくても土佐藩から選出さるべき名であった。(ない)
……。
「わしァ、出ませんぜ」と、いきなりいった。「あれは、きらいでな」なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は、「窮屈な役人がさ」といった。「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」「左様さ」竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。さすがの西郷も、これには二の句もなかった。横の小松帯刀は、竜馬の顔を食い入るように見つめている。古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。小松は竜馬を愛慕しつづけてきた男だけに、この一言がよほどうれしかったのであろう。「竜馬は、もはや世界が相手なんじゃろ」と、おだやかに微笑した。
……。
藩論不統一な土州が前面に出れば、革命のエネルギーは分散するばかりだということを、竜馬はたれよりもよく知っている。西郷は、暗黙裡にそれを察した。「心得た」と小さくいった。(第8巻 近江路)