スクナ事務局長さんの本日ブログです。


事務局長さんは


今でこそ「ソニー」という
企業はウォークマンを始めと
して次々にヒット商品を生み

出し、いまや超一流家電
メーカーとしての名をほしい

ままにしており、またゲーム
業界でも「プレステのソニー」

といわれるほど知る人ぞ知る
有名ブランドとなっています

がそれまでには色々な苦労が
あったようです。

昭和35年に超小型トランジスタ
ラジオによるヨーロッパ市場

の開拓を目指し、営業マン3人
が羽田空港を飛び立った頃は

町工場に毛が生えた程度の
中小企業だった。


しかも当時のメイドインジャ
パンと言えば安かろう悪かろう

の代名詞、コメディアンのボブ
・ホープがピストルを構え、弾

が出ないと「メイドインジャ
パン」という、これで大笑い
されていた時代があったのです。

メイドインジャパンのソニー製
の小型ラジオといったところで

誰も見向きもしないのも道理だ
ったのです。

チューリッヒの事務所を開いて
3人のスタッフが一人で1日

 

5ケ国を回るという強行スケ

ジュールの中、事務所長の

 

小松万豊(かずとよ)さんは

自分と1つの賭けをしたのです。


喫茶店に入り「ご注文は?」と
聞かれた時にどこに行っても

必ず「ソニーをください」と
言うのです。

「ソニーはラジオでしょ」と
言われる日がくるか、こないか
という賭けだったのです。

「ソニーはラジオでしょ」と
言われるようになればソニー
は世界を制覇できる。

小松さんはそう賭けたのです。
上陸1年経ってもラジオは
たったの1台も売れませんでした。

やがてあるドイツ人ビジネス
マンのアイデアで超高級店の

ウィンドウに1週間だけ製品を
展示することになったのです。


ここで売れなければ撤退しか
ないという状況でした。

小松さんは学生アルバイトを
使って連日ソニーのラジオを

買いに行かせ、大きな話題作
りに成功したのです。

次にあり金を全てはたいて
新聞の全面広告を打った。


こうした起死回生の策があたり
ソニーは一躍人気ブランドと
なったのです。

ついにある日、小松さんがカフェ
でいつものように「ソニーを

下さい」といったところウェイ
トレスさんが「あらいやだ、

ソニーはラジオでしょ」と答え
たのです。

やがてわざわざ自分の持って
いるソニーのトランジスタラジ

オをもってくるウェイターも出
てくるまでになったのです。

「勝った!」小松さんは内心
小躍りしたといいます。

厳しい仕事に挑むときはこんな
賭けで自分を奮い立たせるのも
ひとつの妙案なのです。


      ( 下 略 )


と綴られています。

素晴らしいお話ですね。


何かを達成する事は自分との賭けです。

そこで見えるものが真実なのだと

思います。


色々な手続きがあり

約一ヶ月子供の大学に通って

いました。


きっと子供よりキャンパスを

知り尽くしていると思います。


やっとやるべき事に区切りが

ついてきました。


今日からは溜まった仕事の事務関係を

こなして行きます♪


今日も笑顔を繋ぎます。


事務局さんのリブログ是非全文ご覧下さい。



スクナ先生の昨日のYou Tubeです。

ひで麿さんとのコラボでした。
とても楽しい内容でした♪

そして大切な学びが沢山ありました。
是非ご覧下さい。

 


ひで麿さんのYou Tubeです。


Sukuna radioと違う内容です。

こちらも是非ご覧下さい。

ひで麿さん御身体ご自愛下さい♪