昨日に引き続きまして

レオナール・フジタ展


初めて来ました。

(京都府乙訓郡大山崎町、JR山崎駅下車)

大山崎山荘美術館

落ち着いた素敵な美術館です。

ワクワク(^o^)



明治の日本に生まれ単身渡欧し、

エコール・ド・パリの代表的な

画家として活躍した藤田嗣治

(レオナール・フジタ1886〜1968)



〈カフェ〉1949年 油彩




日本画の技法を油彩画に

融合させて

編み出した独自の画風は

「素晴らしき乳白色の肌」

と絶賛された裸婦や猫の主題は

人気を博し、個性的な風貌や言動でも

一世を風靡しました。

ー開催にあたりごあいさつよりー





〈美しいスペイン女〉1949年



館内は撮影禁止。
なので作品は全て
パンフレットからです。
ピントがあってなくてーゴメンなさい


〈朝の買い物〉1962年



油彩画の大きな作品は、

フジタ手作りの額入り。

そして私が、とても面白いと思った

たくさんの挿絵入り手紙。

数奇な人生を歩んだ藤田。その名声と印象操作で

その人となり,その時々の心持は、謎につつまれたままです。

親しい人々に送った手紙、生涯を通じて作り続けた「手仕事」とも言うべき木工細工、妻のために残した作品などで,彼の人生とその

心の旅路をたどる作品展のようです。



手紙の森(書籍)興味があったので購入。




猪熊弦一郎宛の書簡 1944/4/10



猪熊弦一郎宛の書簡 1944/4/11



フランク・シャーマン宛の書簡 1949/3/31



フランク・シャーマン宛の書簡 1949/4/10



フランク・シャーマン宛の書簡 1949/4/11



フランク・シャーマン宛の書簡 1949/4/18



フランク・シャーマン宛の書簡 1949/4/26


英語はちんぷんかんぷんでも

挿絵を見ていると分かってしまう。

イキイキとした表現に

見入ってしまいます。


生まれ育った日本からヨーロッパへ漕ぎ出した藤田は、

さらに新天地を求めて中南米を周り、戦時中には「日本国民」として画家の役割を果たそうとするも、世間からの思わぬ仕打ちに

心を砕かれます。もはや日本へ戻るつもりはなく

フランスで夫婦揃って洗礼を受け、カトリック教徒になりました。

この時から藤田はレオナール・フジタとなったのです。



その他に美術館では


建築家・安藤忠雄氏による「地中の宝石箱」

クロード・モネの(睡蓮)

などの作品が展示されています。





美術館内、少しだけ撮らせてもらった室内


渡り廊下



いいなーこの椅子



パンフレットからの室内



2階にあった素敵なカフェで

一休み、ワインケーキを食べました。





久しぶりの京都

帰りの電車から

東寺の五重塔をパチリ


時代に翻弄されて遠く昔

最後は祖国に失望して外国に骨をうずめた

1人の世界的に有名な画家。


今は5人目の妻君代婦人と共に

自らが建てた礼拝堂(平和の聖母)

ノートル=ダム=ド=ラ=ペ

で眠っています。


やはり思いの丈を尽くした

人生だったのではないでしょうか。