本日は思想家・井上新甫先生に、日本人にとっての心の故郷「神(かむ)ながら」や心学についてさまざまな話をうかがいました。これから赤心会を盛り立てていくための基本的資料とすべく、赤心という名の由来や日本人の魂のルーツ、また天皇陛下と皇室などについてうかがいました。

お話を聞き終えて日本人は神の意思のまま、傲ることなく他人を妬むことなく、真心をもって生きていくことの大切さを感じました。

このインタビューから日本人の心を感じ役立つならば幸いです。

それでは問答形式でお話を聞いていきます。

 

 

赤心とは何か

 

問い。日本人の精神や神ながらについていろいろ聞かせてください。まず赤心会の「赤心」とは何でしょうか。

 

言う。赤心とは真心のことです。赤の字は大と火とでできており、火が大いに燃えている意味です。その火の色の「あかい」を表わします。火はものを浄化しますから、その浄化されたきれいな心が赤心です。赤心はまた丹心とも赤誠ともいいます。丹という字もまた「あかい」意味です。

真心は別な言葉でいえば良心です。

その赤心をムネとする会であることから、赤心会と名付けたものです。

 

問い。赤心はみずから育てるものですか。

 

言う。いいえ、もともと人間はだれもが皆、赤心を持っています。でも自分自身の傲りや見栄や虚栄心や欲望のために満月にかかる雲のように覆われてしまいます」

 

問い。どうしたら満月の心でいられるのでしょうか。

 

言う。努めてこの雲を払い去るようにする。毎日、夜空を見上げても満月はめったに見ることはできない。雲の厚いときもあれば薄いときもあるけれども、年間を通じて名月というのは、なかなか見ることができない。この名月を覆う雲を払いさればその心は赤心です。

 

問い。確かに綺麗なお月様は、毎日はみられないですね。

 

言う。しかしどれほど雲がかかっていても必ず明りはある。かすかな光が残っている。そのかすかな明りを手掛かりにして雲を払いのけていければ、やがては明らかな月となります。ちょうど戸のすき間から入る一筋の光を手掛かりにして雲を払いさっていく。これが実践的な赤心を明かにする方法です。

 

問い。本来、持っている心に気付くことが大切なのですね。

 

言う。そうです。人はだれもがみな本来、汚れない純粋な心をもっています。ただそのことに気づかないため、日々悩みが増していきます。

 

 

 

②に続く

日本の神様とは

 

問い。素朴な質問ですが、天照大御神という神様は男ですか?、女ですか?

 

言う。神様を人間の男女のように考えるとは間違ってしまいます。そもそも天照御大神はどうして生まれたのか。『古事記』にはイザナキという男の神様の、左目から生まれたことが記されています。男から子が生まれるはずはない。まして左目から生まれるはずはない。

これだけ見ても天照大御神が男か女かというのは見当違いだと分かるでしょう。また『日本書紀』には「たおやめ」とあり女神に設定されてはいますが、しかし、もともと男神だとか女神だとかといって争う必要はないでしょう。

 

問い。もともと神様は男でも女でもないのですね。

 

言う。そうです。目に見えない自然界の万物を生成する働き、これは理法でもあるわけですが、その働きが神です。ですから見えない。また言葉では語りようがない。しかし語り伝えるためには何らかの言葉が必要です。そのために付けた名が、神々の名と思えばよいでしょう。『古事記』には目に見えない神と目に見える神の双方が出てきます。

よく読めば、その違いもすぐに分かります。

わたしたちが住んでいるこの地球上にはさまざまな物が生まれました。人

間もその一つですが、ではいったい誰が作ったのか。

 

問い。宇宙なのか神様なのか。目には見えないけど、何か表現できない存在が創ったのではと思っています。

 

言う。目には見えない、認識できない。いま君がいった何か表現できない存在の〝存在〟というのがあるわけではない。創造の原理とか理法とかは目に見えない形而上のものです。

 

問い。だから先人が『古事記』を書き残したのですか。

 

言う。そうです。この宇宙を創成した創造の根源は何か。『古事記』の伝えているその一番の根源は天之御中主(あめのみなかぬし)という神です。この神は『古事記』を開くと、最初に出てくる神の名です。もちろん姿形のある神ではなく、宇宙が創成される、さらにそれ以前のことですから、想像を超えた空(くう)です。その創造の本体が天之御中主の神です。

東洋哲学では宇宙生成以前を太虚(たいきょ)といいます。大いなる空、むなしいという意味ですが、太虚といえばさらに難しくなるでしょうから、今は〝大神様〟といっておきます。ですから一神教の神とは全く異なります。

 

問い。東洋の神と西洋の神の概念が違うのですね。

 

言う。ヨーロッパの神はとかく人間のような像をイメージします。でも東洋では天とか天帝とか、あるいは道という。『古事記』では天之御中主の神が、その天、天帝にあたります。天といい天帝といい、天之御中主の神といい、みな創造の理法のことを指しています。

たとえばわたしたちは、物を食べれば胃が消化し、腸が吸収し、不要なものを排泄して生きる力を養っていきますが、この働きは誰が命じたものですか。自分が胃や腸に命じてやっているわけではない。からだの仕組みから自然にそうなっている。その自然にそうなっている理法が天之御中主の神のはたらきです。

 

問い。食べれば消化するというのは当たり前になっていますね。

 

言う。この自然にして行われる不思議な仕組みを知れば、人間は自分が勝手に生きているのではないことが分かります。それが分かれば目には見えないけれども、想像を絶する広大無辺な力があるのではないかと考え、どんなに我を張っても人間は粟粒のごとき小さなものだと感じます。そうすれば謙虚にならざるを得ない。この不思議な仕組みを尊び、これを仰ぎ、これを畏れ、これに感謝していく。それが昔から続いてきた日本人の宗教感です。

 

問い。私は、あの3・11の地震が起きた時、何か罰があたったのではないかと思いました。そして傲慢であった自分を恥じる思いでした。

 

言う。君のその気持ちに、わたしは共感を覚えます。日本人としてのDNAが働いて、そう感じさせたのでしょう。森羅万象をつかさどっている言葉では表現できない大神様を感じたのではないかと思います。

そうした謙虚な気持ちがもっとも大切です。

被災地復興に関係した政府の人たちをはじめ、有識者と称される人たちが、どれだけ人智を超えた威力を感じ得たのかどうか。そういう謙虚な気持ちが強ければ復興の議論も、おのずから変っていたはずです。

 

問い。たとえば防波堤を高くするとか。

 

言う。自然界の巨大な力の前に、防波堤がどれほどの意味があるか、論ずるまでもないでしょう。原発の安全神話を信じきっていた人間の傲慢さは、日本人の歴史と伝統からみれば、本来生まれないはずなのですが、人間の傲りというのは実に愚かです。人の為すことに完全なものは何一つもない。人はみな不完全です。その不完全であることを知ることが、真の知者であることを知るべきです。

人は自然には抗えない。自然に立ち向かえば蹴飛ばされる。

わたしたち日本人は自然を尊び、これを畏敬し、これを称えて、これに順応し、これに従い生きていく。それこそが日本人の伝統的神(かむ)ながらの道です。ところが人間は強欲ですから人智に不可能はないなどと考えます。

人生、たかが百年あるかないか。そのうち元気で活動できるのは七、八十年。一睡の夢のようなものですが、一睡の夢を、欲を追いつづけ得られれば傲り、得られなければ鬱病になる。もったいないことです。

 

問い。欲にはきりがないですね。もっと美味しいものを食べたい。もっといい家を持ちたい、もっといい車に乗りたいという自分がいます。それを追い求めるために働くのも虚しい感じがします。

 

言う。君自身の心のなかにも葛藤がありますか。お金をたくさん持って裕福な生活をし、着飾っている人もいるでしょう。「いいなあ」と思う気持ちもあるでしょう。その気持ちは、多かれ少なかれ、みな持っています。またその気持ちが、とくに若い時には自分を発奮させ努力させていく原動力になっていることも確かでしょう。若いときに何か具体的目標を持つことは、持たないことよりはかるかによいといえます。

しかし、いずれのときかに真の豊かさとは何か、それに気付くときがあるかもしれません。

 

ここで新甫先生は孔子の弟子、顔回(がんかい)と子貢(しこう)について

話をされました。顔回は孔子の門人のなかの、徳行第一の人物で聖人に

次ぐ亜聖といわれました。それに対して子貢は、孔子の郷里・魯国の隣

の斉国の大商人で金持ちでした。

・顔回が言う。「生死は天命です。金持ちは長命で貧乏人は短命ですか。清

潔な衣を着たら革の靴が履きたくなり、皮の靴を履いたら、次は玉の飾り

が欲しくなり、玉の飾りが得られれば、次ぎは青銅の馬車に乗りたくなる。

それに何の意味がありますか。自由な生活に足かせをはめられます」

・孔子が言う。「顔回は貧しき者で、子貢は富める者だ。顔回は貧しくとも

自由であり、子貢は富みのなかが落ち着く。賢者とは心なのだ。子貢よ、

外見にこだわるな」

この話をどう見るかは人それぞれでしょう。

 

問い。本当に欲にはきりがないですから。

 

言う。だれもみな貧乏はいやです。顔回のような貧乏のなかでも安らぎを得る

のは、わたしたち凡人には到達し得ない境地ですが、とはいえこの話はいろ

いろ考えさせられてしまいます。

 

問い。本当に大事なことにお金を使いたいと思います。たとえば学問を修めるためとか…

 

言う。それは学問の尽きない魅力を知る人にいえることでしょう。学問を好まない人には金銀財宝の方に魅力があります。ただひとつ言えることは学問は幾ら積んでも妬みをかわないが、富は妬みの対象となる。

お金持ちは盗人に襲われるけれど、学問は盗むことはできない。そればかりか尊敬されもする。

 

③に続く

神ながらの道とは何か。

 

問い。神ながらの道とはどういうことですか。

 

言う。先ず「神ながら」の「神」は「かむ」とか「かん」と読みます。「かむながら」、あるいは「かんながら」です。これを漢字に当てると「惟神」とか「随神」と書きます。「惟」は「ただ」とか「これ」とか「思う」。「随」は「つき従う」。双方は漢字が異なりますが真意は同じです。

その意味は神代から続いてきた人為を加えぬ、神慮のままの道をいう。要するに「思えば思うほど日本国は一に神にあるなあ」ということです。

もちろんこの神は、万物を生成する不思議な働きのことをいうので、一神教の神の概念とは異なります。また特定な像を思い描くのも間違いです。姿形のない、目にはみえない、認識できない、創造の理法を指しています。

神ながらではこの理法を「産霊」とといます。この産霊を畏敬し、尊び、仰ぎ、これを信仰するのが神ながらの道です。

もっとも産霊などいっても知らないでしょう。「むす」とは生成のこと。「ひ」とは霊力のこと。この万物を生成する霊力は、よく考えてみれば極めて神秘的で霊的だと思いませんか。

わたしたちは普段、そのようなことは考えもしません。自然界のごく当然の働きと思っています。

 

問い。まったく勉強してこなかった。学校でも教わらなかった。

 

言う。学校教育の範疇にはないから当然です。

 

問い。神ながらは日本の歴史とどういう関係があるのでしょうか。

 

言う。これは日本の歴史の枢軸を貫通している思想・信仰です。もし正しく日本の歴史を知りたいのならば、いわゆる歴史観というものを養いたいと思うなら、この歴史の根底に流れている神ながらを知る必要があります。いいえ、そればかりか日本の伝統文化、国民生活を考えるうえで極めて重要な思想であり信仰です。

 

問い。以前に見たテレビ番組で日本人に「あなたの宗教はなんですか」とインタビューしていましたが、ほとんどの人が「無宗教」と答えていました。

 

言う。それは普段、宗教を意識していないからでしょう。神ながらは日本民族のDNAのようなものですから特別な宗教的意識はない。

年が明ければ神社を参詣する。あるいは皇居に詣でる国民も多い。子供が生まれればお宮参りをする。七五三の祝いをする。春夏秋冬には祭りがある。

これらすべてに対して特段の宗教的感覚はもっていないでしょう。しかしその根底には神ながらがあります。

 

問い。日本の学生が海外に行って「日本はどういう国か」と聞かれても、答えられない人が多いと聞いています。

 

言う。残念であり恥ずかしいことです。もし聞かれたら「産霊の畏敬と信仰の国です」と答えればよい。また日本人とは何かと問われたら本居宣長の歌を詠めばよい。「しきしまの大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」。これが日本人の心ですと。

 

問い。カトリックを信仰している友達がいますが、イエス様と対峙してイエス様に身をゆだねているような感じなんです。いいことも悪いことも、神のお蔭、思し召しであってご先祖様は関係ない、と。日本の宗教感がわからないと言われました。宗教の対立はどうすればなくなるのでしょうか。

 

言う。一つの宗教が生まれるまでにはいろいろな要因があるはずです。生まれた土地や風土や環境、また気候や食生活や慣習など、民族によってみな異なります。日本のような四季に恵まれた温暖な土地で生きる民と、砂漠の民とでは感受性も情緒情操もおのずから違います。

その違いを認めて他の民族に己の宗教を強いることはしない。そうすれば対立は生まれないでしょうが、これが非常に難しい。

 

④に続く

 

天皇と日本人

 

問い。天皇陛下が生前退位のご意向を示されましたが、先生はどうお感じになりましたか。

 

言う。生前退位は、本来は譲位ということでしょう。10月17日にこの問題を話し合う有識者会議が始まりました。政府は来年早々には結論を出したい意向のようですが、わたしには陛下のご意思を忖度することなど畏れ多くてとてもできません。

そもそも天皇陛下とはいかなる系統のお方か。

天照大御神という皇祖からの直系です。国民はこれに対して天照大御神の嫡出子であり、本家の皇室に対し分家という関係です。本家も分家も不可分、一体ですが、その皇祖に直結しているお方が天皇陛下です。陛下のご意向を忖度することなど、とても畏れ多いことです。

わが国の皇統の深きゆえんを知れば知るほど畏れ多くなるのは当然です。皇室典範があるといっても、所詮人間がその時、その時に合わせて便宜的につくったものです。その便宜的に作ったものを物差しなどにでき得るものかどうか。

陛下は国民と共におられますが、また国民を超えた域におられるのではないでしょうか。

しかし今、国民の八割が陛下の意向に賛意を示していることは世論調査にあらわれています。この国民の声は陛下の声と同じですから、これを尊ぶことに尽きるでしょう。

 

問い。そこまで深く天皇陛下のことは理解していなかった。2000年以上の時を超えて、つづいている皇室ですからね。

 

言う。神ながらの神慮のままに、何事にも赤心を尽くしていくことが大和心というものではないですか。

 

問い。神ながらについてこれまでまったく勉強してこなかった。学校の日本史でも教わってこなかった。

 

言う。われわれが学んだ歴史は、何年にどういう事件があった。その年代と事件とを照らし合わせて正しいか正しくないか。それを覚える勉強でした。暗記力を競うようなものですから歴史の勉強はつまらない。わたし自身も、そうした勉強をした一人です。明かに教育の手抜きだと思います。

 

問い。産霊の信仰は本当に美しい。今日はこれから生きる上で大切な話が聞けました。ありがとうございました。

 

終わり

 

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。