旦那は朝から市役所や保健所への移動で

てんやわんやしていた。


はじめてのことで混乱してたようで

母も合流して動いてくれていた。


私は火葬許可証がないと退院できなかったため

娘と病室で待機していた。



病院から死産届をもらって市役所では

死産届の提出と火葬許可証の発行手続き


保健所では(市役所との連携がされないことが多いため)事情を伝え、今後新生児訪問や育児相談などの問い合わせ、連絡ハガキも郵送不要と伝えてもらった。


母には、私と旦那で話し合った結果

3日後の朝イチに火葬の予約を入れてもらい


その間、家で一緒に過ごすことになり安心した。


母が病院の裏口に車を停めている間に

旦那が病室まで迎えにきてくれて帰る支度をした。


娘を新生児用のベッドから、持参した箱に移動する際少しの傾き具合で小さな鼻から血が出てしまった。


小さい頃から赤ちゃんやこどもは好きだったけど

小児科やNICUで働きたいという気持ちにはなれなかった。


エンゼルケアしていて成人や高齢の方でも

十分辛い気持ちになるのに


自分よりも小さい子の現場を見るのはもっと辛いと思ったから。


でも親目線で見るともっと違った。


とにかく身体のどこかしらが少しでも血が出てたり

日を追うごとに身体が変化していくのを見ると


胸が締め付けられる気持ちになった。


自分の寿命と引き換えに

この子の命を延ばしてあげられたら

どんなにいいか


一緒に生きられたらこれ以上ない幸せだけど


この子が生きてくれるなら

私がこの世に残らなくてもそばで守っていきたかった‥‥


そんなことを考えていた。


皮膚がデリケートで傷つけてしまわないか怖かった。

肌触りのいいタオルで皮膚にあたる部分をふかふかにしてハンカチで体が傾かないよう支えてあげた。


病院を出るまでふろしきに包まなければならない。


ごめんね、暗いよね


箱の蓋を閉める時、申し訳なさと切なさで涙が出た。


入院中お世話になった助産師さん数名が

一緒に裏口用のエレベーターまで見送ってくれた。


病棟の他の患者さんとすれ違わないように配慮してもらった。

エレベーターが閉まる際、お世話になりましたと伝えて深々と頭を下げた。



退院して玄関外へ出ると、さっきまで土砂降りだったのが嘘のように晴れ間が見えていた。


私は天気運が悪くて

この日も雨かと家族が心配してたけど

その心配は杞憂に終わった。


良かった、娘が濡れずに済んだ


車に乗って実家へ帰ると真っ先に祖母が駆け寄ってきた。


「おかえり、身体は大丈夫??無理したらあかんよ。そこに一緒に座ろう。」

仏間へ移動して、箱をあけ娘を抱っこしてもらった。


「あぁこんなに小さいのにちゃんと身体しっかりしてて‥、可愛いねぇ。足もこうやってくすぐると今にも動きそうやなあ。」


536gだから筋力が弱い祖母でも抱っこすることができた。

ひ孫を大事そうに抱っこしてくれる姿を見たら涙が出た。


入院中過ごしたこと

いろんなことを話しながら

娘のまわりでみんなで過ごした。


夕方、旦那が

「うちの親が会いに来たいって言ってるけど、こっち来ても大丈夫?」と聞いてきた。


出産した日にLINEしてから返信せずにいたから旦那へ連絡がきたらしい。



正直、気をつかうし会うのも気まずかったけど


娘にとってはおじいちゃんおばあちゃんだし

娘との時間も少ないから会うことを決めた。


連絡をもらったと同時に


本当は自分から会いにいくべきなんだろうなと反省した。



しばらく経つと義理の両親がお花を持って実家へ来た。


仏間へ案内して娘に会ってもらった。


娘に話しかけてくれて嬉しかった。

抱っこは皮膚がデリケートだから箱のまましてもらった。


とにかく今は身体を休めてねと伝えられ

3日後の火葬の日に会う約束をしてそのまま別れた。


改めて義理の両親には謝罪とお礼を伝えた。