第1子のあと、排卵検査薬でタイミングを測ってもなかなか授からず
2022年に別のクリニックを受診した。
そこは第1子が稽留流産と診断された時セカンドオピニオンでかかった所。
先生も助産師さんも丁寧で心強かった。
もろもろの検査を終え、タイミング法を開始し
第2子を授かった。
第1子のことがあったからすごく毎回検診の度に不安だったけどこの子なりに成長してくれるのが嬉しかった。
でも週数が経つにつれて他の人の時期と比べて小さいのが気になってくるようになる。
先生に「相談した時大きい子もいれば小さい子もいるようにこの子の個性だと思ってね。」と言われた。
私自身、身長も高くないからきっとこの子もそうなのかなと思っていた。
その後、安産祈願も無事に終えて性別は女の子と分かった。
旦那もものすごく喜んでいたし、ここまで大きく成長した経験ははじめてだったから涙がでた。
ただ、やっぱり成長が遅い‥
検診を受ける度にやっぱり小さいなと感じて不安だった私は、同じ時期に妊娠していた職場の先輩に相談し胎児ドックがある病院を教えてもらった。
胎児ドックの予約は結構な数が埋まってしまっていて、もっと早く動いていればよかったなと少し後悔😵
胎児ドックは初期、中期、後期の時期で受けれるらしい。
予約した時点で2ヶ月先であれば受けられるとのことだったためすぐに枠をおさえてもらった。
そんなある日、エコーを診てもらっていた際先生から「この子、ヘルニアがあるかもしれない。横隔膜のところが怪しいな‥。」と言われた。
確定ではないとフォローしてもらったけど嫌な予感しかしない。
先生に胎児ドックの話をすると、そこの病院宛てに紹介状をかいてもらえた。
助産師さんから最後「応援してるからね、頑張ってね!」と背中を押してもらった。
すぐさま紹介先の病院へ旦那と向かった。
「どうかどうか、、お願いします。」と何度も心の中で祈りながら産婦人科の待合室に座っていた。
診療受付時間ギリギリについて問診票を記入。
待っている間にNSTをつけてもらった。
こんなに長い時間、夫婦揃って心拍を聞くことができたのははじめてだった。
心拍はすごく元気に動いていた
「私さ、この子にもし何かあったとしても、ちゃんと治療して必要な知識をつけて育てていきたい。この子、ひょっとしたらさ染色体異常があるかも知れないって思っててさ。」
「うん、うん」
旦那はひたすら隣で頷いていた。
大きくなるにつれて徐々に成長曲線が逸脱してきたのが気になり前から自分でいろいろネットで検索していた。
きっとこの子は胎児発育不全になっていてひょっとしたらダウン症なのかもしれない。
横隔膜ヘルニアも合併症のひとつなんだろうな、、、
色んなことを考えひたすら待ち続けて数時間
先生はとても穏やかで物腰の柔らかな優しい感じだった。
診察で先生からは18トリソミーの可能性があると伝えられた。
てっきり21トリソミーだと思ってたから意外な結果だった。
現実は厳しかった。
半数以上は生後1週間以内に亡くなるとされており
一才までの生存率は10%に満たないこと
そして、我が子は横隔膜ヘルニアだけでなく
重篤な心疾患を抱えていることが分かった。
今後確定診断のため羊水検査を受けてもらうが
おそらく治療の域を越えていることが予想されると。
なんでこの子なんだろう
世の中には虐待する母親だっているし
トイレで出産して子供を平気で捨てる人だっているのに
なんで私からこの子が奪われないといけないの?
冷静に話を聞いていたが涙はどんどん溢れてきた。旦那も声を震わせながら返答している。
そして
子宮頸管が短く子宮口が徐々に開いてきているらしく張りの回数も多かった。
いつ破水するか分からない状態であり、切迫早産になっているため移動は車椅子で、仕事もしばらく休職するよう伝えられた。
羊水検査は明後日行いそのまま入院することが伝えられた。
先生の話を聞いて、血液検査や画像検査のため待合室に出るとすぐ移動することになった。
夫婦2人とも涙を流しながら検査へと向かった。
移動中に車椅子を押しながら必死に堪えようとしても涙が止まらない旦那を見ると苦しくて堪らなかった。
この世に神はいないと思った。
検査後、職場に明日から休職することを連絡した。
胎児の病気のこと、予後のこと、現在の自分の状況を説明した。
泣かずに報告することはできたが、いざ言葉に発してみると現実を受け止めたくない気持ちでいっぱいになった。
この子は今こんなにお腹の中で動いているのに、、
お願いだからいなくならないでよ