こんにちは。

Mです。


先日、こんな話を聞きました。


子どもの頃から大学3年生までずっと野球に取り組んできた男子で、大学では主将も務めています。


特別に強いわけではないそうですが、

大学で体育会まして、

主将なんて立派だなぁと思いました。


が、彼は、甲子園に出場できなかったことや、

大学での活躍にどこか罪悪感を持っているようでした。


あるあるな話ですが、

両親が子どもの頃から熱心で、

野球をする息子に夢を持っていたんですね。




「この前、親が息子が大谷翔平だったらよかったのになぁって。言ったんですよ。どう思います?」




こんな会話、ありそうなことだけど、

彼にはチクリと痛かったようでした。


もちろん、

もう20歳も超えているのでわかってはいるのです。

親も何気なく言った一言だろうと。


なぜ、チクリと痛かったのか。

これまでの親子関係の何かがあるからですね。


子どもに

何かしらの才能があると信じると、

親は嬉しくて前のめりになりがちです。


なんなら、

その道のトップになれるのではないか?とか。


嬉しいだけで止められたらいいのに、

そこからなんか期待してしまう。


私のお世話になっているガイド師匠の話です。


「スターは生まれ持った輝きがある」

「見ればわかる」


ガイド師匠は、ある芸術分野を極めた方で、

人間国宝や、そのレベルの方々と一緒に活動されていました。


なので、伸びる子、元々のスター性があるとはどういうことかよくご存知です。


その話を聞く度、

何かずば抜けた才能がある子というのは、

普通の親の器で育てられないのだと思いました。


素晴らしい指導者に出会い、

切磋琢磨し伸びていく器や運を持って生まれてきているのでしょう。


そんな子に親ができることは、

出会いのチャンスを逃さないことや、

子どもを託すことができる人に出会ったなら、

手放す勇気を持つことかもしれません。


でも、そんな子は多くない。

ほとんどは、普通に見える道を自分らしく自分の人生を生きていきます。



自分にできなかったことを託したい。

この子なら、できるかもしれない。


こんなワクワクする気持ちを持たせてくれるなんて、ほんとうに子育ての幸せを感じる時ですね。

ありがたいですね。


でも、どうか、そこまででやめましょう。


それだけの器を持っているなら、

自然とその方向へ導かれます。


嬉しい心で、子どもたちを見つめるだけで、

充分ではないでしょうか?