こんにちは
Mです
いろいろありまして、しばらく更新ができませんでした
すっかり師走ですね
自分の内側を見る、自分自身の声を聞くとか、
答えはすべては自分の中にあるのようなことを学び
自分を見るとなった時
私は自分の負の面、いわゆる欠点とかを注視して、
落ち込んだり、自分を嫌になることが多かったと思います
でも、自分をみるということは、実は深掘りしすぎても見えないんだなと思いました
人間だから、もちろん短所があるわけですが、
良いところも同じほどあるんですよね
それが、自分自身のこととなると、
自惚れちゃいけないみたいな思いが湧き上がってくるからか
冷静に淡々と見つめることが難しいんだなと気づきました
自分以外の友人や家族を見るように、自分を見れば良いんですよね
そう考えてみたら、友人Aさんのことをまるっ好きだとわかる
Aさんは明るくて可愛いけど、ちょっとうるさいなと思っていたとしても、
「Aさんを友達として好き」と思う時には両方をひっくるめて見えていて、
そのうえてまるっと好きな友達と言っているわけですよね
自分だってそう
自分を認められない、自分が嫌い、というときには
他の人になったつもりで 自分を感じてみたら
「あーいうところもあるけど、嫌いじゃないな」
とか
「不思議と会いたくなると思える人」
だと発見するかもしれません
私自身、長く自分を好きになれないと思っていました
でも、友人の1人として感じられた時、こんな人も楽しいなと思えました
自分の中の陰を見つめすぎるのも、ある意味自分に興味があって、実は自分を好きなのかもしれません
先日、伊勢神宮のことをテレビで放映していました
内宮にも外宮にも、
それぞれの神様の荒々しい側面の荒御魂、
穏やかな側面の和御霊が祀られていました
私たちも、そうなんだなと改めて思いました
子育ての時、親の目は子どもとの距離はどうなっているでしょうか
近すぎると見えませんし、なんなら子ども自身と同化してしまいがちです
親の役目は子供を矯正することではなく
持って生まれた良き面を伸ばし
その子らしく生きていくことを応援すること
その子らしさを、認め尊重することではないかな
自分のお腹の中で、臍の緒がつながっていた子を
赤ちゃんの時は自分の一部として育てる必要はあります
でも、言葉を覚え、自分でやろうとし始めた時にはもう、一緒ではない
感じ方が自分と違っても、好みが違っても、
その子がイキイキとしている瞬間を大切にしていけばいいんだと思うと、少し体の力が抜けて軽くなるような気がします

