至って普通の48歳主婦です。
パーキンソン病の診断は青天の霹靂、あまりにも情報を持ち合わせていないため、情報収集や記録としてブログをはじめました。
内容はあくまで私の経験や考えをもとに展開しています正しい情報とは言い切れないものもあると思いますのでご理解の上ご覧ください。
よろしくお願い致します
思い出したので覚書。要は愚痴なので苦手な方はスルーしてください。
先日夫と話していた時、パーキンソン病の原因について話した。もちろん結果的には『わからない』というのが答えなのだけど、夫から言われたこと…
『ドーパミンて、外に出たり太陽に当たったりしないとでないんじゃない?』
夫と再婚して1年後妊娠、がん闘病、手術だけだったので経過が落ち着いた1年後くらいから内職を始めて、さらに1年後くらいもっと割の良い内職に変わり娘が幼稚園に入るタイミングでパートに出ようと考え内職をやめ、就活をした。
当初公立に入れるつもりだったけど、夕方まで見てもらえる幼稚園の追加募集を見つけ夫に了承してもらってから私一人で応募、面接、合格まで取り付けた。
夫に合格を報告すると、『まじか』と言われた。夫としては私立に行ってほしくなかったのだろう。理由はわからない。のちに『結果的に〇〇幼稚園に行ってよかったと今は思う』と言っていたこともあるので何か不満があったのだろう。
同時期、就活をしていることを話した。連れ子の部活や進学にお金がかかること、夫の勤務形態が変わり収入が激減したこと、結婚前にはなかった夫の前家族からの養育費の負担、年齢的にもそろそろ社会復帰したい旨を話した。
そこまで話して初めて『俺の母親みたいに子どもが小さなうちは家を守ってほしい』と言われた。
結婚前は、私が働くか否かは好きにしたらよいといわれていたのに、だ。その言葉でいろいろ言いたいことはあったが貯金を切り崩しながら新たな内職を始めた。5年務めた。
仕事をしようと思えばその場を離れられないから日に当たるのは洗濯物を干すときや、子どもの送り迎え、買い物の時のみ。繁忙期には子供を寝かせた後も仕事をした。
夫が不規則勤務なこと、飲み会などが頻繁で子どもと1対1で向き合う時間がとてもながかった。家事育児を手伝ってくれる夫ではあるけど、家にいて気が向いたときだけ。気が向かないときに子どもがしつこいと人格を否定する言葉を投げかける。そういうこともあり、『お母さんがしてあげるからこっちおいで』となることもいまだに多い。
きっと夫は自分は働き家族を養い、家事育児にも参加していてよくやっているのに日に当たらない生活を選択してきてこんな病気になったんだ、かわいそうに。
くらいにしか思っていないと思う。ついつい
『ドーパミンは幸せホルモンって言われるくらいやから日に当たるとかより、幸せじゃなかったんじゃない?』
と口から言葉がこぼれてしまった。
見たこともないぶさいくな苦笑いをしていたけど、きっと心には沁みてないんだろうな。話の後も、放屁しいびきをかき鼻歌を歌い口笛を吹いていたから。
こういう人が家にいると空気が張りつめなくていいけど、孤独感が増す。