初めてそうかもと言われたのは

出産予定日6日前の

『最後の検診かもね!』と

話しながら行った病院ででした。

 

 

 

私の主治医は

70歳代と見える男性医師。

病院の名誉なんとか

みたいな立ち位置の方で

笑顔はなく頼りなくはないけど

今時ではありませんでした。

 

 

35歳過ぎてからの妊娠だったので

高齢出産、

おまけに筋腫あり。

 

 

 

妊娠を疑いいった

町の産婦人科医から

 

『あなたの体での出産は

うちではできないから、

市民病院以上の病院に行きましょう』

 

と言われ

おじいちゃんの病院に

行くことになりました。

 

 

 

結果的に

がんにまでなっていたわけですが

高齢出産が問題だったのか

筋腫が問題だったのか

何が悪かったのか…

いまでもわかりませんが

町医者に言われた通り

私の妊娠は問題だらけでした。

 

 

切迫流産

子宮筋腫の変性

切迫流産

 

 

変性の時の激痛は

陣痛ほど強く1週間寝込みました。

夫は子ども用の食事を

準備をしてくれたりはしたけど

仕事を休むことはありませんでした。

一番痛みがマックスな日も

休むことはなく

私が寝込む姿を目下に見ながら出勤。

思春期の息子に

付き添ってもらいながらタクシーで

病院に行ったのを思い出します。

 

 

 

妊娠初期の子宮頸がん検診では

全く問題なく、

それまでも毎年

頸がん検診に行っていて問題なしでした。

筋腫の変性と

頸がんがどうかかわっていたのか?

 

 

 

おじいちゃん医師は

 

 

妊娠によって

体の中に変化が起こって

急速にがんが育ったのだろう

 

 

そのような見解でした。

 

 

 

 

それがまっとうな見解か否か

私にはわかりません。

判断しようもありません。

受け入れるしかなかった。

 

 

 

私『このまま治療をせずにいれば

後遺症は出ないと思いますが

治療せずに過ごしたら

どうなりますか?』

 

医師『4年程度で

寿命を迎える可能性があります』

 

 

 

もしかしたら

早い段階からあったのかもですが

そこをはっきりしようとする 

気力はなかった。

だって、

もう命のカウントダウンが

始まっているのだから

それを阻止しないと。

 

 

 

術後の後遺症も気になり

標準治療を受けたくなかった私は

自分でよい治療がないか

探しに探してセカンドオピニオンを

受けることにしました。

 

 

手術の数日前の方針転換。

 

 

 

自分で

*調べたこと

*なぜセカンドオピニオンを受けたいか

を家族にプレゼンしました。

 

 

 

『手術日に合わせて休みを取っている。

もうその日は手術しないってことだな?

休まなくてよいなら仕事に行く。

はっきりしてくれ。』

 

夫のことはまたお話ししますが、

そのときステップファミリーを

築き始めて2年目でした。

で、この態度です。

命の際にいる私の気持ちを

理解しようとはしてくれないのだなと

心から思いました。

 

たまたまその頃親族に不幸があり

義姉と夫が車で向かったのですが

そこで軽々しくも

義姉に私の症状を話し

すぐに義姉は義母に。

 

私が実母に話す前に、です。

本当おしゃべり‼️

普段は周りを巻き込んで

無視し合うような喧嘩を

平気でするくせにそんな時だけ仲間意識

振り回されてばかり😓

 

私にはこのころから

不信感があったのでしょう。

 

子宮頸がんについても

自分なりには調べていたようですが

セカンドオピニオンなどは

まったく調べようとせず

何か相談しても

『大丈夫だって!』と他人事。

真剣に向き合ってくれているとは

思えない態度でした。

私が泣きじゃくっていても、

一通り慰めたら『もうええか?』と

背中を向けて眠る。

その背中を見ながら

朝まで過ごしたことが

何度もありました。

 

 

 

 

実母

『患者が医者を選ぶなんて

偉そうなこと、私ならしない。

おとなしく与えられた治療を

受けなさい。』

 

田舎者の母で、

こういう言い回しを

しょっちゅうして絶望感を感じさせます。

年老いた母に心配させて申し訳ないと

気を使って自立しようとしても

いつもこうやって

後ろ髪を引っ張りあげます。

でも、私も頼ってしまう。

親子の支配って怖いなと感じます。

 

 

 

一番理解を示してほしかった人たちに

理解されませんでしたが押し切り

セカンドオピニオンを受けた病院で

治療を受けることにしました。

 

 

反発心ではなく

その治療を信じることができたから。

 

 

普通、

大病を告知されたら

当の本人は感情の整理ができず

絶望の淵で過ごすと思いますが

夫と新たな幸せを

手に入れるために踏み出した直後で

二人の子供を育てる責任もあった。

私はアドレナリン満載だったのでしょう。

 

 

できる限り後遺症が少なく

のちの生活に害が少ない治療を

自分で選択し決めました。

賭けだったかもしれない。

(今は標準治療になっているのかも)

 

 

 

 

今年の夏ちょうど10年がたち

がんの検診としての通院を

終えたばかりでした。

 

 

 

そのころから新たに

自分の体に違和感を感じ始めました。