高千穂峰  Takachihonomine  1574M Japan | 山と花と旅 Japan Alpine Flowersのブログ

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高千穂峰 Mt.Takachiho 

 1574M 歩程約5キロ約3時間30分

2007年3月18日登山・撮影

霧島全山縦走と開聞岳3日間 登山中級A

2007年3月18日(日)

高千穂峰

4時に自宅を出た。乗用車で1時間。天王台駅近くの駐車場に車を預けた。JRとモノレールを乗り継ぎ、6時40分、羽田空港第一ターミナル一番時計前に着いた。レストランで朝食をとった。集合時刻は7時15分。日本航空1873便は、8時15分に離陸。青い空。遙か下に、海岸線が見えた。潮岬だろうか。室戸崎だろうか。足摺岬だろうか。それとも、日向灘だろうか。601マイルを飛行して、9時15分、鹿児島空港にランディングした。

気温4度。12月、1月、2月と、記録的な暖冬が続いた。三寒四温。その「寒」に当たってしまった。登山ツァーの一行は16人。添乗員は高野さん。若い女性。送迎バスの運転は坂口さん。バスは霧島路を走行する。山間地である。菜の花畑。山はだの山桜。標高が高くなるにつれ、原生林になってきた。照葉樹。針葉樹。落葉樹。混在している。赤松の高木が多くなってきた。11時30分、高千穂河原に着いた。ここは、標高970M地点。大きな石の鳥居。高千穂河原ビジターセンター。広い駐車場。厳粛な雰囲気だった。ここで昼食をとった。

山岳ガイドは吉松さん。霧島一帯の自然保護に努めている方だった。12時20分にストレッチ。大きな鳥居をくぐり、登山開始。山岳ガイドの後を一列になって歩く。最後尾は添乗員。広い参道が200Mほど続く。松の木が多い。足下を見ても、樹木の枝先を見ても、花は咲いていない。3月下旬の九州なら、まだ見ぬ花に出会えるかもしれないと期待して飛んできたのに。5分ほどで霧島神宮古宮址に着いた。かつてはここに霧島神宮があった。ここからは登山道となる。自然石が敷き詰められたなだらかな遊歩道を歩く。やがて登山道は赤い溶岩のガレ場になる。左右には松の木やミヤマキリシマ。ミヤマキリシマは葉もなく花もない。固いつぼみのまま。しばらく歩くと、樹木がなくなった。赤茶けた岩と砂礫の登山道。斜度もある。登山靴を踏み下ろすごとに、ずずっと滑る。歩き始めてから1時間ほどで、稜線に出た。標高1340M地点。大きな火口の縁まで登りきったのだ。御鉢である。白い噴煙が立ち昇っている。

中岳が見える。新燃岳が見える。壮大な光景。高千穂山頂も視界に入ってきた。滑落しないように集中し、御鉢の縁を進んで行く。左右とも絶壁に近い。斜面には不気味な亀裂も口を開けている。噴火口の左半周分進むと、馬の背に至る。ザレ場を少し下る。ここは鹿児島県。いよいよ山頂本体への登山。傾斜のきついガレ場の登山道となった。歩き始めてから2時間弱。標高差604Mを登りきった。標高1574M地点。ここは宮崎県。筑紫の日向の高千穂のくじふる峰。高千穂山頂に今立っている。天照大御神の命により孫のににぎのみことが地上に天下った天孫降臨の地天の逆鉾がある。天空に日章旗がひるがえっている。霧島連山が見えた。澄みきれば、桜島が見える。錦江湾も見える。登った登山道を下山した。3時過ぎ、山裾の松林まで戻った。吉松さんは、神宮の森自然研究路に案内してくれた。苔に埋もれた自然石。神さびた細道。ミヤマキリシマの古木。キリシマミツバツツジ。赤松の高木。神々がおわしますかのような静謐。4時頃、高千穂河原に戻った。バスで霧島神宮に行った。杉のご神木。樹高35M。幹囲7.3M。見上げると、幾種類かの宿り木。近くにヤブツバキの木。真っ赤な花が咲いていた。日のあるうちに、ホテル霧島キャッスル」に着いた。赤い実の樹木があつた。小さく黄色い花の樹木があった。シロモジだろうか。ミツバツツジらしい花が咲いていた。トウゴクミツバツツジよりも花の色が淡い。高千穂の山裾にあったミツバツツジは咲いていなかった。固い蕾のままだった。このツツジは今満開。花期が早い。気にかかるツツジだった。なん度もシャッターを押した。「なんというツツジですか。」ツツジの近くにいたコック姿の方やフロントにいた方などに聞いてみた。「イワツツジです。ひと昔前はそこここの山に自生していたんですよ。現在自生しているイワツツジはありません。民家の庭などにはありますけど。」とのことだった。霧島温泉に入った。翌日の霧島連山縦走のときに、山岳ガイドの吉松さんにも聞いてみた。「宿泊したホテルの一角に、ミツバツツジのような花が咲いていました。」「キリシマミツバツツジの変種でイワツツジと言います。花期が早いんです。ある場所にはまだ自生しています。現在、環境省の方などと連絡を取り、保護活動を進めているところです。」とのことだった。


高千穂登山ではまったく花に出会えなかったが、天孫降臨の地で奇しくも出会えた「イワツツジ」。北関東から九州の地まではるばると旅したかいがあった。
イワツツジ余談
○ 宮崎県綾町の「綾 照葉樹林と照葉大吊橋」のサイトを開くと、イワツツジは、綾町花となっいる。3月頃に群生地がイワツツジで紫色一色になると紹介されている。
○ 千葉県の水月寺には、イワツツジ(ミツバツツジ)が咲いている。
  40年前にご住職が種から育てたと紹介されている。
○ 北国高山のイワツツジ(岩躑躅)(Vaccinium praestans)
 北国の高山や礼文島などには、ブルーベリーの仲間のイワツツジ(岩躑躅)

 Vaccinium praestans)がある。
高山植物の図鑑などには、こちらが掲載されている場合が多い。
鹿児島県上野原縄文の森余談
鹿児島市国分に、上野原縄文の森がある。約9500年前のコナラ、クヌギ、クリなど、落葉広葉樹の森が復元されている。約7500年前のアラカシ、ヤマモモなど、照葉樹の森も復元されている。住居群、集石遺構、連穴土杭など、定住初期の大集落が復元保存されている。様々な石器も展示されている。生活に使われた多様な壺なども発掘されている。縄文時代に日本各地に居住していた人々が中心になって、弥生時代、古墳時代、大和政権時代へと、その時代の生活・習俗・文化が形づくられてきたのだろうか?太平洋から、大陸から、朝鮮半島から、千島列島から、漂着したり渡ってきたりした人々が、ある時期、日本人の国家形成に大きな影響を与えたのだろうか?日本書記や古事記に記載されていることが史実を反映しているとすれば、鹿児島県や宮崎県は、日本国家誕生の核となった地域であるとも考えられる。

「筑紫の日向の高千穂のくじふる峰に、ににぎのみことが地上に天下った高千穂峰」に登頂し、時空を旅する感懐も抱いた。