お遍路関係で旅道具、道中の生活用品をピックアップして、解説・評価・必要な機能・選び方などを書かれているブログや動画は多いのですが
『巡礼用品』
って宗教視点でやってるのは少ないな、と思ったので書いてみます(`・ω・´)


【白衣】


お遍路で用いられるのは

『南無大師遍照金剛』

という文字が背中に書かれた白衣。



私の覚えている限り、1990年代頃まで、市販されているものは


・無地

・プリント(印刷)されたもの

・手書きされたもの

くらいしかなく。


サイズはフリーサイズ(男性向けのL〜LL相当)のみ


形状は

・袖あり

・袖なし

を選べる


みたいな商品展開でしたが、2000年代から始まった御朱印ブームの影響もあってか

・刺繍(カラフルなものも含む)

・生地の質の向上(厚手のしっかりした実用的な生地)

・男女別にS,M,Lなど、複数サイズを展開

・羽織物だけでなく、Tシャツなども展開

という感じで、選択肢が大きく増えた印象。



お遍路用の巡礼Tシャツ,ジャージなどのカジュアルスタイルが登場してきたのもこの辺りの時期かな?




時代的に

HTMLを手入力してホームページを作ってた時代(インターネット黎明期)から

ケータイの進化と通信インフラ網の整備により、ユビキタス社会へ突入

誰でも手軽に情報発信できるブログ,SNSなどが登場した

というあたりと一致するので

・インターネットの発達で、御朱印という存在が広く知られるようになった

・それに伴い、霊場関係者や札所近隣の関係者が巡礼者を呼び込もうと動いた

みたいな流れじゃないかなぁ、と個人には思っております( ˙꒳˙ )



ちなみに御朱印ブーム以前の1990年代は

・カーナビのデータがCDで、車に3〜6連装くらいのCDドライブを積んでいた

・歩行者で使えるナビシステムは、ガーミンの登山用ナビか、auのezナビウォーク程度

・GPS衛星の数が少なく、精度が低い

・スマホ,SNS,ブログ,動画サイトが存在しない

・学校は土曜日は午前授業が当たり前で、仕事は平日扱い

・ハッピーマンデー制度による月曜休みがない(1998年成立、2000年施行)

みたいな感じなので、2020年代に比べると

・連休がかなり少ない(実質的に公休日も少ない)

・ナビや情報収集手段が限定されていて、情報更新間隔は月〜年単位

という感じで、お遍路に行く事そのもののハードルが高い時代…。


更に言うと

「有休を取らず、体調不良でも仕事に行くの社会人の常識」

「『入社以来、一度も有休を取ったことがない』というのが自慢話として成り立つ」

みたいな時代なので、有給休暇といえば

・冠婚葬祭

・子供関係(入学式,卒業式,授業参観,病気など)

・親関係(入院や手術など、緊急対応)

くらいで、旅行などを目的にすると白い目で見られた時代…。



【構造】


西国三十三所など、観音霊場では仕様が大きく異なるため、観音霊場用をお遍路で着用していると、割と目立ちます。


背中の文字が

『南無大慈大悲観世音菩薩』

または

『南無観音菩薩』

といった佛名になっている

という点もあげられますが、そもそも色が異なるという仕様なので…。


三重県総合博物館


江戸時代から始まったとされる習慣で

・3枚の布を縫い合わせて作る

・両親が健在→左右が赤,中央が白

・片親の場合→中央が赤,左右が白

・両親とも故人→3枚とも白

という仕様。


現在では他の霊場との差別化のためか

『江戸時代の片親仕様』を『観音霊場仕様』として定義している

という写し霊場,巡礼団体もあるようです。


また、個性を出すためなのか、その地域の霊場の故実に基づくものなのか分かりませんが

赤系の布ではなく青系の布など、他の色を用いる

という例もあります。



【形状】


八十八ヶ所系の霊場と観音霊場(西国三十三所系)では、白衣というものが歴史的に異なる経緯で現在に至っている模様。


西国三十三所の白衣(笈摺)の大元は、六十六部廻国聖や修験道の行者が着用していた羽織で

・背負っているものと衣類が擦れて傷まないように

・背負っているものが汗などで汚れないように

といった目的のものだった、とのこと。


※六十六部廻国聖

正式名称は『日本廻国大乗妙典六十六部経聖』

個人を指すものではなく、巡礼者の一種。

法華経を写経して、全国(律令制時代基準)の国分寺(または一宮など諸説あり)に納経して廻ったとされる。

歴史的には西国三十三所より古く『御朱印の原型』と言われる巡礼

(※ルートなどがあるわけではないため、いわゆる『霊場』ではないとされます)



元々は『衣類の劣化,破損の防止&背負っているものの汚損,濡損の防止』であったため、茶色〜焦茶や黒っぽい濃い色の羽織物で。

江戸時代に入って世の中が安定してくると、巡礼が一般に広まって、上記の『親の存命状況』を元にした色分けが行われたりする様になって。

という感じの流れから定着した模様。


そのため、西国三十三所では『袖のないもの』が正統派であるようです。




四国八十八ヶ所の場合、捨て往来手形なども存在する様に、何かしらのカタチで故郷を追われた方が少なからず存在していたためか『死装束』的な面が強調された様で…。


純粋に衣類として、『袖のあるもの』=法被みたいな形状に発展した模様。


ただし、調べた限り、お遍路=全身白装束が定着したのは戦後のようです。

※このあたりは伊予鉄バスが始めた順拝バスツアー&公認先達制度(主に6番札所安楽寺の住職&副住職)の影響などで、巡礼のユニフォーム的なものになったようです。



ちなみに伊予バスの公式の写真はこんな感じ。




写真をみる限り、袖なしタイプを着用されている方も結構おられるようなので、四国八十八ヶ所の白衣は

実用性,歴史的な経緯を経て現在の形になった

というよりは

地道な広報活動で現在の形に定着した

みたいな感じかなぁ…という印象も少々(^_^;)



【巡礼用以外の白衣】


大きく分けると下記の様な種類があります。



『南無釈迦牟尼佛』

の文字に

梵網経の『衆生受仏戒 即入諸仏位 位同大覚已 真是諸仏子』を入れたもの。

※更に部分的に抜き出して『位同大覚已 真是諸仏子』の場合もあります。



『南無釈迦牟尼佛』

の文字に

袈裟被着偈の『善哉解脱服 無相福田衣』を入れたもの。

※『大哉解脱服 無相福田衣』の場合もあります。



『南無阿弥陀佛』

の文字に

無量寿経の『応法妙服 自然在身』を入れたもの。

※梵網経仕様で作成される場合もあります。



『南無阿弥陀佛』

の文字に

『十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満』の文字を入れたもの。

※文字通り、融通念佛宗用です。



密教系の宗派だと

・釈迦三尊(釈迦如来+文殊菩薩&普賢菩薩)

・毘沙門天

など、仏様の名前や梵字を入れたもの。



袈裟被着偈,梵網経,無量寿経などからの引用を入れて作成された白衣は『福田衣(ふくでんえ)』と呼ばれます。

※福田衣=袈裟の別名。


福田衣と呼ばれるものの、別途 輪袈裟は着用するので

・福田衣のみ着用=クールビズ的なラフなフォーマルスタイル

・輪袈裟=ネクタイとジャケット着用のスタンダードなフォーマルスタイル

みたいな位置付けになるのではないかな、と勝手に思っております( ˙꒳˙ )



【扱い方】

巡礼でよく用いられる『白衣』と呼ばれる
「南無大師遍照金剛」
「南無阿弥陀仏」
「南無大慈大悲観世音菩薩」
「南無大聖不動明王」
などの尊格関係の文字または梵字のみのものについては
・トイレに行く
・食事をする
などの際には脱ぎましょう、とは言われないのですが…

実際、西国三十三所の法灯リレーなどで、札所の御住職方も白衣着用(※輪袈裟はトイレの外、柵などに掛けておく)でトイレを使われてましたし。


先に挙げた『福田衣』と呼ばれる
・袈裟被着偈
・梵網経
・無量寿経
などからの引用が入った白衣に関しては、授戒会などでは
「トイレに行く際は脱いでください」
という指示があることもあるため、輪袈裟着用時と同じ扱いになる場合があります。
特に指示がない場合もあります。




また、正確なところは不明ですが…


四国八十八ヶ所第16番札所 光耀山 千手院 観音寺で授与されている

【弘法大師の筆跡を刻印した光明真言の印】

と呼ばれる白衣の襟用の印。


コレを押印した場合は

「輪袈裟を着用しなくてもOKになります」

と説明される事があります。

※主にツアー同行の公認先達さんの説明

※観音寺でもその旨の説明がある、らしい?(未確認)


つまり、押印されている場合は『福田衣=袈裟』ということになると思うわれるため

・トイレに行く
・食事をする

などの際には脱ぎましょう

ということになる可能性が考えられます。



【白衣のカスタマイズ】


お寺めぐりの道中で着用される白衣(集印用ではない)に頂いているのを見かけたことのある御朱印です。


※集印された方から聴いたものであり、現在も授与されているのか未確認です。


縁起物ということで

集印用の白衣だけでなく、道中に着用する白衣にも!

という需要の様です。


四国八十八ヶ所用の白衣だけでなく

・比叡山延暦寺 結縁灌頂会用浄衣

・西国三十三所用の笈摺

などに押印されている方を見かけることもあります。


【鶴の印】と【亀の印】は鉄板の組み合わせですね(゚ω゚)



[四国八十八ヶ所]


【愛染明王の御姿絵の印】

四国八十八ヶ所第7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺

所 在 地:〒771-1509 徳島県阿波市土成町高尾字法教田58


【弘法大師の筆跡を刻印した光明真言の印】

押印ヶ所:白衣の襟

四国八十八ヶ所第16番札所 光耀山 千手院 観音寺

所 在 地:〒779-3123 徳島県徳島市国府町観音寺49-2


【四国総関所通行証の印】

四国八十八ヶ所第19番札所 橋池山 摩尼院 立江寺

所 在 地:〒773-0017 徳島県小松島市立江町字若松13番地


【鶴の印】

四国八十八ヶ所第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

所 在 地:〒771-4303 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14


【龍の印】

四国八十八ヶ所第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺

所 在 地:〒771-5173 徳島県阿南市加茂町龍山2


【瓢箪の印】

四国八十八ヶ所第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺

所 在 地:〒787-0315 高知県土佐清水市足摺岬214-1


【鐘の印】

四国八十八ヶ所第39番札所 赤亀山 寺山院 延光寺

所 在 地:〒788-0782 高知県宿毛市平田町中山390


【茄子の印】

四国八十八ヶ所第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺

所 在 地:〒778-5251 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763


【ウサギの印】&【兜の印】

四国八十八ヶ所第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺

所 在 地:〒765-0071 香川県善通寺市弘田町1765-1

※こちらのお寺では2種類あります。


【地獄の釜の印】

四国八十八ヶ所第83番札所 神毫山 大宝院 一宮寺

所 在 地:〒761-8084 香川県高松市一宮町607




[四国別格二十]


【椿の印】

四国別格二十霊場14番札所 邦治山 動院 常福寺 (椿堂)

所 在 地:〒799-0127 愛媛県四国中央市川滝町下山1894




[知多四国八十八ヶ所]


【鶴の印】

知多四国八十八ヶ所第20番札所 萬松山 龍台院

所 在 地:〒475-0863 愛知県半田市前崎東町35


【亀の印】

知多四国八十八ヶ所番外札所 青泰山 浄土寺

所 在 地:〒470-3412 愛知県知多郡南知多町豊浜小佐郷1番地




[富士山]


【富士山の印】

富士山頂上浅間大社奥宮

所 在 地:富士山の山頂(標高3712m)

注意事項:直径20cm以上ある巨大な御朱印




〜行事限定のため入手不能〜


【結縁灌頂の印】

高野山讃岐別院

所 在 地:〒760-0061 香川県高松市築地町7−1 讃岐別院

授与行事:高野山讃岐別院創建百年記念 胎蔵界結縁灌頂会


【秘仏三尊の印(六角形2つが蜂の巣の様になった印)

四国八十八ヶ所第73番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺

所 在 地:〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1091

授与行事:弘法大師御生誕1250年記念御開帳





他にもまだまだ様々な地域,様々な寺院で白衣へ押印して頂ける御朱印があるとは思いますが…
・見た目が特徴的,特殊な御朱印で
・御朱印の集印用ではない、道中衣にも押印していただけて
・私が見たことがあるもので
・着用している方に、どこで頂けたのか聞いた
という条件のものは上記のものです。

・実際に見たことがない
・存在する、もらったことがある、と聴いただけ
というものは記載していません。