170625 | 無駄使い調達マンの買物記録

無駄使い調達マンの買物記録

洋画好きです。 
建設機械メーカーで調達をやってるのでその愚痴なんかも

もう3ヶ月前くらいになるかな。

 

実家で飼ってた愛犬が死んじゃったんですよ。

 

もうほんとに大好きな犬で、実家に帰るときに会うのをいつも楽しみにしてたんだけど、ね。

 

まぁペットは死んじゃうもんです。

でもあいつが自分にとって特別だったのは、実は、私はあいつに会って一緒に暮らすようになるまで、人から優しいって言われたことなかった。

 

今は、ありがたいことに周囲から優しいって言ってもらう事あるんですよ。

昔はいやなやつだったんですね。ほんと。自分でもわかるくらいに。

 

あいつが変えてくれたんですよ。

どうしてかというと、あの犬は優しくて賢くて穏やかなやつだったから。

 

言葉が通じない兄弟として一緒に育っていく中で

私があいつに似ていっちゃった。

 

普通は犬が飼い主に似るはずなんだけれども。

 

犬のおかげで人間としてまともになったという。

感謝してます。ほんとに。

 

で そんな愛犬が死んでしまったんですね。

実家の家族も当然哀しんで、その日のうちにお葬式をあげました。

それに私は出ることはできなかった。

 

恨み言を言うわけじゃないんだけど、あいつが死んだところも、お葬式も見ていないので死んだという実感がわかないんですね。

 

実家に帰っても「いない」としか感じなくて。

死んでしまったというのがまだわからない。

いってしまったんだな。と思うようにはしてるんだけども。

 

なぜ突然こんな話をするかというと

私の大好きな映画と、その原作本に「ものすごくうるさくてありえないほど近い」という作品があるんですね。

 

その主人公である少年オスカーのお父さんは、911の同時多発テロに巻き込まれて亡くなってしまうのですが、死体が見つからないんですよ。見つけられなかった。

 

でもお母さんたちはお葬式をするんです。

しかし棺桶の中は当然カラッポなんですね。

ここは冒頭のシーンなんですけど、オスカー君が泣きながら叫ぶんですよ。なんでお葬式なんてするんだ! お父さんはそこにいないじゃないか!って。

 

このシーン。理解はできてたんですよ。

お父さんの死を受け入れられないんだってことは。

でも今回やっと、ほんの少しだけ、心で理解できたなぁって。

受け入れられるわけないんですよ。そんなの。死体を見てないのに、突然お父さんが死んでしまったなんて。

 


 

 

この作品、実は映画と原作で結末が違うんですよ。

どちらもすごく素敵なんですけど、ぼくは原作の方が好きなんですね。

映画に興味を持つ人がいても、原作読む人はよっぽどいないだろうから、このまま書いちゃいますね。

 

亡くなったお父さんの父親、つまりオスカー君のお爺ちゃんが出てくるんですけど、この人声が出せないんです。

実はお爺ちゃんはWW2を体験していて、その時のショックで声が出せなくなってしまった。

それどころか、家族と一緒にいるのもつらくなってしまって、奥さんと生まれたばかりの子供、つまり亡くなったお父さん、を置いて出て行ってしまった。そしてそのまま消息不明。

 

それが、911に巻き込まれて息子が亡くなってしまったことを知って戻ってくるんですよ。そこでオスカー君と初対面するわけですね。

ちなみに原作本は、約半分がこのお爺さんの独白になってます。

 

で、このお爺さんは喋れないもんだから常にメモ帳を持ち歩いてるんです。話す変わりにそこにペンで書く。ページをめくって書く、書く。

そしてそのメモ帳は捨てないで全部とってるの。何十年分の自分の言葉を凄まじい量とっておいて、部屋に全部おいてある。

 

原作のラストシーンでは、オスカー君とお爺ちゃんが2人でお父さんの棺桶を掘り出してその中にこのメモ帳を埋葬します。まるでお父さんの亡骸の代わりであるかのように。

夜の墓場。月夜の下で祖父と孫が2人で。

このシーンがすごく感動的なんですね。

 

オスカー君はそうせざるを得なかった。見つけられないお父さんの遺体の代わりに祖父が人生の中で生み出してきた言葉を埋葬した。

それでお父さんの死を受け入れられたのかは、わからないけれども。

ここも、理解は出来ていたんだけども…

今回やっと、ほんの少しだけわかるようになったなぁって。さらに好きなシーンになった。

 

お葬式って残された人にとって大事な儀式ですね。

よく戦死者の遺体を遺族が今でも探しているっていいますけど、こういう事なんじゃないかなって思います。その気持ちは想像する事すらできないけれども。

 

お葬式は、亡くなった人のためにやるんじゃなくて

残された人が新たなスタート地点に立つためにやるものですね。

 

ぼくもそろそろスタート地点に立てそう、かな。