建築へ

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建築を志す高校二年生の
日々の葛藤を綴ったブログです。

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昨日

ワタリウム美術館でやってた

ひっくりかえる展に行ってきた

JRさんの展示が良かったな



彼は

地元の人を大切にしていて

その人たちと信頼を築いて

アートを作り上げていく


その姿勢に

心打たれて

美術館を出た


その辺をぶらぶら

幸せな気分だった

この前温泉に入った後に

充実とか幸せってのは

全てに感謝出来る時間のことかなと思った

ちょうどそんな気分を味わって歩いてた


その時

道路の左にかっこいい建物が見えた

すぐに塔の家だと分かった

ものすごい存在感と

凛とした佇まいに圧倒された


近づいてみた

予想以上に小さいな

金具が出てるんだな

窓枠は木製か

とか少し考えて

その場を後にした



それから原宿まで歩きながら

2つのことを考えていた




実は

塔の家はグーグルマップで探して

見つからずにあきらめた事があった

でも散歩してて塔の家に会うなんて考えてもいなかったし

塔の家に会うために散歩してたわけでもない

ただ幸せな気分に浸るために

あてもなく歩いていて

塔の家に気づいた

運命?

そんな単純なものでもないなぁ

ただ

どうしようもない時の流れに

(北杜夫の『楡家の人々』みたいに)

人は流されていく

そんな感じがふとした



それから

もう一つ思ったこと


一年前に

散歩していたら

丹下さんの東京カテドラルにばったり出会ったことがある

そのときも同じような気持ちだった

建築に圧倒されて

思わぬ出会いに心が躍った


半年前に同じく丹下の代々木競技場に訪れたときは

そんなに感動しなかった

あまり感動しない自分にあせりすらした


そういうのを振り返ってみると

どうも

思いがけない出会いの方が

素直に作品を受け入れられていて


あれをみるぞって決めて行くと

見る前に多かれ少なかれ期待していて

そこから判断していって

予想以上に小さいとか

そういうところに目が向いて

どうも本質を理解できてない


そんな傾向を感じた


あーだこーだ

判断する前に、

作品と向き合っていけるように

ならなきゃなと思った






自然の流れに身をゆだねて

流れてくる物事をすべて受け入れていけば

日々新しい発見がある


そんな気がする




建築について

何から書こうか悩んでた



ただ、

建築ってなんだか大変なものだということをずっと思ってる



そこには名もない大地があって

いろんな生き物が

生まれては死んでいく

そんな流れのなかで

道具をもち、力をえたのが人間だった


人間は頭がおっきいものだから

いろんな事を考える

それで

その考えたことを

目の前の大地に下ろしてくる


こうして

ピラミッドがつくられて

あっという間に

地球は

建築だらけになってしまった


ハコモノとか言われる

なんだか意味がわからないものがあったりして

なんだ

これは

人間の気が狂ったんじゃないかしらと

思うんだけど


作った人達は必至で

人間界のようわからんシステムの中で

落ちこぼれになりたくなかったそうだ


ふむ

それは彼らを責めてはいけないなあと

思い直す



でも

それで

地球はどうなんだ

大地はどうなったんだ


彼らの叫びを

聞いていたら

こんなことにならなかったんじゃないかな



建築は

人間の創造性と

自然の叫びのぶつかる場所だった

その葛藤の末に素晴らしい建築が出来上がるのだと思う


龍安寺の石庭で感じた

自然と庭と建物の融合を

僕は心の引き出しに大切にしまってある

絶妙な色合いの塀や、軒下・縁側などで

自然と見事に調和していたあの空間…

あれが僕の目標だ



自然の叫びを無視して

人間の都合だけを考えた

そんな暴力的な今の建築の在り方に

僕は納得いかない


近代建築に

欠けていた自然への配慮

自然と調和するということ


そういうものを

考え続けていきたい



人間と自然は本来対立するものではないし

自然の一員として人間を捉え直さなければならない

僕は、建築で、

自然と人間が

融合して生きていけることを

示せると思う



だから

僕が目指す建築は

自然から離れていこうとする現代の人々を

自然にとどめる

錨のようなものだ

そして

同時に

僕の世界観を

自然と一緒に表現していきたい












最近

インカ帝国や、エジプトの美術の本を読んでる



今自分が住んでいるところからは

時間も距離も遠い…全然違う世界について考えるのは

すごく重要だと思っている



僕たちは

自分のこだわりを捨てきれないところが少なからずある

それは、例えば登校の道筋であったり、友達であったり、些細なことから

ある国が嫌いであるとか、そんな事まで数え上げたらきりがない。

そうやって自分の生き方を決めると、楽だと思うんだ。

登校のルートは早ければ良いとか、他に友達を作ろうとしないとか、

あの国がすることは全ておかしいとか、決めてしまえば何も考えずにすむからね。


でも、本当に正しいものとか

どうやって生きていくべきかを探すときには

勇気をもってそういうこだわりを捨てていかなければならない。



そのための一つの方法は

自分が住んでいる世界から一歩踏み出すことだと僕は思う。


だから僕はよく旅にでる。


無理に遠くに行こうとしなくたっていい。

モネの絵をみて感動したら、

それは、モネのその境地の近くまで旅をしたと言ってもいいと思うんだ。

インカ帝国の本を読むと、

自分が知っている暮らしとは全然違う暮らしを彼らは営んでいることを知る。

そういう事を知ることで、少しずつ、世界を広げられると思う。



そんな事をかんがえてたら

ふと頭に浮かんだあの詩


『75セントのブルース』 ラングストン・ヒューズ 


どっかへ 走っていく 汽車

七十五セント ぶんの 切符を くだせい

ね どっかへ 走っていく 汽車

七十五セント ぶんの 切符を くだせい ってんだ

どこへいくか なんて 知っちゃあ いねえ

ただもう こっちから はなれてくんだ。