アーユルヴェーダを学んで

「まちがった正義」

というものがあると知りました

 

 

 

そして、まちがった正義を生み出しやすい体質があるそうです

(アーユルヴェーダは自分の体質を知り、陥りやすい現象や思考も知ることができます)

 

 

 

 

 

 

情報を見ていると

コロナのこと、政治、経済、世界情勢、色んなことから枝分かれして、さまざまな不満や不安の発信を目にする時があります

 

 

 

「あれ?自分の満たされないものも乗っけていない?」

 

 

「承認欲求つよめ?!」

 

 

その情報の奥にあるもの、本質をみてしまう私がいたり、発信者の目の奥に炎が浮かんだり、消化力やアーユルヴェーダ、ドーシャ理論なるものの勉強にもさせてもらうこともあります

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の状況には多かれ少なかれ、私も思うこと考えることはあります

 

 

が、自分以外は変えられない、他者を変えようなんておこがましい

ふつふつとしたものが湧いたら、心の中でこの言葉をくり返します

 

 

ヨガ哲学の八支則(はっしそく)には、

反応せず、エネルギーを自分に向ける練習があります

瞑想を行うことも自分を高めていくもののひとつと記されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の意識が外側をつくります」

 

 

「自分のおもいが世の中をつくる」

 

 

アーユルヴェーダ基礎講座を初めて受けた時、一美先生のこの言葉は私に入ってきませんでした

 

二回、同じものを受けた時、私のどこかに落ちた、入ったこの言葉

 

 

 

 

怒りや恐れ、または哀しみがあると怒りや恐れ、哀しみで世の中を見てしまうことがある

 

冷静にシンプルに見ることが難しくなるのです

 

 

 

自分を楽しませ、喜びをかんじることがあると、この世の中は、「そんなに悪くない」「もしかしたら、楽しいかも」「やっぱり、しあわせや」につながりやすく、「そんなこともあるか」「ま、いっか」と他者、自分を認め、許すこともできるような気がします

 

 

 

 

 

 

 

 

否定や批判に満ちていた以前の私はみるもの殆どが暗く、鋭く、重く、悪く、捉える人でした

 

 

世の中の不満をわざわざ探していたのかもしれません

 

 

あら探しというのでしょうか、視点や着眼点が人のことや納得のいかないことだったような気がします

 

 

その行いを正義と捉えていたこともあったかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

自分を満たす、幸せにするってほんとうに大切

 

 

そこが抜けると知らぬ間に人から何かを奪おうとすることがあるんです

 

 

目に見えないエネルギーとかもね

 

 

実体験しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を傷つけないために

 

 

自分の大切な気、エネルギーの無駄づかいを防ぐために

 

 

相手を傷つけないように

 

 

相手から奪わないように

 

 

そうするために私は自分をしあわせにしようと思います

 

 

そして、みんなも一緒にしあわせになりましょう、につながっていくのです

 

 

 

 

 

 

 

 

まちがった正義を生み出さないために、今日もじぶん観察をできればと思います

(観察はただただみるということです、いい、悪いの判断はしません)

 

 

 

 

それではウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不足を言うな

もともとからっぽ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たむら めぐみ