息子が、「前はゲームできると思って、さぁーっと適当に勉強しとったもん」

 

 

昨夜、こんなことを話していました

 

 

 

 

 

以前、オンラインゲームをしていた頃

宿題や学習をしない彼に、「宿題終わったらゲームしていいよ」と話していた私

 

 

 

そんなことを続けていました

 

 

 

ふと、釣りのように餌(ゲーム)を付けて、学習しない彼を釣っているかのような自分が観えてきました

 

 

 

息子を見ると

 

 

 

ゲームの為に宿題をし、ゲームの為に母親に言われたことをおこなう

 

 

 

おこなった学習の内容を見ると真剣に取り組んだとは思えません

 

 

 

まちがいが多く、それをただ、直してあります

 

 

 

「ただ」、おこなっていました

 

 

 

彼の実になっていないなぁと思ったのです

 

 

 

そして、何より、「何かでさせていた自分」がとてもイヤになってきました

 

 

 

何だか偉そうな母にも見えてきて

どこか恥ずかしみも返ってきていました

 

 

 

 

 

 

 

 

息子が好むゲームは争いや殺めるもの

 

 

 

ゲームが終わったあと、興奮状態で交感神経のスイッチがなかなかoffにならない状態でした

 

 

 

交感神経は悪ではありません

 

 

 

が、興奮状態を得るツールが不自然

 

 

 

学習も実になっていない→学校の成績が思わしくない→勉強を理解していない

 

 

 

何より、彼が穏やかではありませんでした

 

 

 

 

 

 

「巡りがよくない」

そこにたどり着き、ゲームはお預けにしよう、と話し合いました

 

 

 

息子はゲームへの依存がみられたので

「ゲームお預け」に納得するまでには親としてかなりの労力を注ぎました

 

 

 

 

 

 

 

そして、現在、彼はゲームをしていません

 

 

 

興味がなくなった訳ではなさそうですが、自分が興奮状態だったことや以前はゲームをする為に適当に勉強していたことを話すようになりました

 

 

 

 

 

 

 

 

「スマホは高校受験が終わったら購入する」

 

 

 

たむら家ルールは家族で話し合いこんな感じです

 

 

 

息子は見たいものがあったら、親のスマホを見ることができます(ほどほどに)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進学した娘が

 

「お父さんとお母さんが私に勉強だけをさせるのではなく、公園で遊んだり、いろいろ連れて行ってくれた、そんなことをしてきたから今があるような気がする」と今年の春に話していました

隣で聞きながら、涙がにじんだことを覚えています

 

 

 

 

 

 

 

そんな言葉も胸にあり、息子にも根本が太く、大地に根付く人になってもらいたい

今は根っこや幹となる部分を地に構える時期なのかなと思います

 

 

 

オンライン化が進む世の中、

人対人のコミュニケーションも大切かつ重要になってきます

 

 

 

もっとも心温まるものは、人と人のコミュニケーションではないかな

そう思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

モノを持たせれば私もラクです

 

 

 

相手をしなくていい、自分の時間が使える

 

 

 

ただ、心豊かに生きることからは、どうだろう

 

 

 

 

 

 

 

人と人が目を見て言葉を交わし、ふれ合う

 

 

 

自己肯定感が育まれ、自信に繋がる、この巡りにいくのではないかと親18年目で思うのです

 

 

 

 

 

 

 

息子とは昨日もじゃれ合い、トランプをし、手にふれて過ごしました

 

 

 

母としても息子の手を握れることはうれしく、しあわせなことです

 

 

 

来年はできるかわかりませんからねニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親にしてくれたわが子に

深い感謝を込めて。

たむら めぐみ

 

 

 

 

 

 

以上、個人的な意見ですもみじ