February,23
父が随分前から、膝が痛い痛いと言って
おりましたが・・・
2年前に、脳梗塞を起こして
それ以来薬を飲む生活。
幸せなことに発見が早く、後遺症はほとんどなく・・・
右手指先に少しだけで済みました。
梗塞を起こす前からの持病の膝関節炎。
人工膝関節置換手術を希望してたのですが・・・
整形外科の先生と、相談した結果・・・
83歳という高齢の上・・・
2年前の脳梗塞を経験してることもあり・・・。
手術中の梗塞の心配など
リスクが多いと言うことで・・・
母も弱気で・・・
一度は父も諦めたのですが・・・。
あれから数カ月経った今。
週に一度の整形外科通い・・・。
「痛い。痛い。」
と訴える父を見て、先生が・・・
「もう。最後のチャンスかもしれませんね。
83歳・・・。検査してみて、手術に耐えれる結果が
出れば・・・頑張ってみましょうか」
と、おっしゃってくれました。
貧血気味ではありましたが・・・
心電図も異常なしで・・・
1月23日。
念願の手術を受けることになったのです。
通院してる先生の紹介で豊橋市の病院。
病室です。それも個室。
(この病院はほとんど個室でした)
何だか木目調の室内で温かみがあって・・・
ホテルの様でしたよ。
おトイレも立派な洗面台も付いてます。
あら・・・
手首にこんなものが・・・
まるで新生児の様ですね・・・。
豊橋の病院の副院長先生と、
通院してた岡崎市の整形外科の先生も
わざわざ来て下さって、お二人で手術をして下さいました。
母と弟と私で見守る中
3時間の手術が終りました。
病室に戻って来た父は、麻酔のせいで、まだもうろうとしてます。
先生から説明があり・・・
父の膝はひどく欠けて痛いはずですって。
これからリハビリも頑張って行きましょう。
今までの生活に比べると、うんと楽になるはずです。
と、レントゲン写真を見ながら説明して下さいました。
骨を削ったんですもの。
痛いんだろうな・・・今夜は・・・
でも、無事手術が終わってホッとしました。
これからは、痺れる様なあの痛みが消えて・・・
杖なしで、歩けるようになるといいね。お父さん
毎週土曜日。
母を連れて、私が車で病院へ通ってたのですが・・・
母は、それ以外に週1~2回平日に
電車で豊橋まで通っておりました。
手術前日、父が入院した日・・・。
母の為に豊橋駅から病院までの行き方を教えておこうと
病院に車をおいて
・病院から一番近い市電の駅⇔豊橋の駅
を実際に私も付き添って市電に乗って予行演習(笑)して
来ましたよ。
母は「大丈夫。大丈夫。一人で何とか行けるよ。」
って言ったのですが・・・。
なんせ“市電”なんて乗ったことありませんから・・・私も。
心配で・・・
車で病院に行くまでの間、豊橋市内に市電の駅停留所
沢山通過して来たので・・・
病院の近くのそれらしき道路の真ん中にあるはずの
“それらしきモノ”を探したのですが・・・無い
地図には確かに書いてあるのに・・・。
それらしきものが、何処にも無い。
と・・・母とウロウロしてる間に、私達の目の前を市電が通過して行きました
「やだぁ~。お母さん
電車行っちゃったよ~
」
こりゃいかんっ
近くのコンビニ入って若い店員さんに聞くと・・・
「停留所。ここはないんですよ。
信号のそばの床屋さんの前で立ってれば停まってくれますから。」
って、教えてくれました。
母と私「へぇ~~。ウソぉ~~
」
って半信半疑で、床屋さんの前に行ってみると・・・
電柱に書いてあった
「こ、これっ」
しばらくしたら、市電来ましたよ
停まってくれるか心配で・・・
もしさっきみたいに目の前通過されたらショックですから・・・
私と母。
二人して手を上げてました・・・運転手さんに見えるように・・・
恥ずかしいなんて言ってられませんから・・・。
本当の所・・・
立ってればちゃんと停まってくれたのでしょう・・・
タクシーじゃあるまいし・・・
親子二人して手を上げて・・・
今思えば恥ずかしい・・・。
でも市電は、道路中央を走ってる訳で・・・
電車の乗り降りする時・・・
道路を渡って電車まで行かなきゃいけませんから
慣れないと怖い気がしますね。
だから交差点の側に停留所があるわけですね。
私達が乗ったのはこんなパトカーみたいな模様の市電
でしたが・・・。
市内、実にいろんなスポンサーの広告がかいた電車走ってましたよ。
観てるだけで楽しい。
時刻表なんてないんですよ
『7分間隔で運行します』
との表示。
なんと・・・すぐ来るんですね。
初めての市電でなんか母も私も楽しくなっちゃいまして
子供みたいにウキウキしちゃいましたよ
終点豊橋駅に着いて、母とお昼食べて
駅構内のJR乗り場まで案内して
「お母さん。ここからJR乗るんだよ」
と母に教えて・・・。
これで安心です
さてまた市電に乗って病院までとんぼ返り。
大きな交差点。
車専用の右折矢印がある様に、市電専用のオレンジ色の右折矢印が出て
堂々と電車が右折・・・
すると・・・途中に
こんな素敵な建物がありました。
(市電からは写真撮る暇が無く・・・コレは車から撮ったものですが・・・)
豊橋市公会堂
なんと大好きな矢沢永吉氏が、ソロになって初めてのツアー
AROUND JAPAN PART-1
で、1975年11月7日にここでライブされてます。
残念ながら、私は1976年からの参戦ゆえ・・・
ここには来てないいんです。
“豊橋勤労福祉会館”は来てましたが・・・
この公会堂。なんだか素敵な建物ですね
あと1年早く矢沢永吉氏の存在を知っていれば・・・
ココ来れたでしょうに・・・。残念です
1月22日に入院し翌日手術した父。
数日経って随分元気になりました。
切ったあとの傷が痛むようですが・・・
以前からの痺れるような痛みから解放されて
幸せいっぱいの様子。
そして・・・
入院から一カ月後の2月22日。
父が無事退することになりました。
母と弟と三人で迎えに行くと・・・
もうすでに荷物をまとめて、すぐにでも帰れる準備万端
「さぁ。帰ろう」
って帰る気満々
おいおい・・・。
1時間かかって今来たばっかりだっちゅ~の
母に早く会計を済ませて来い
「わしゃ、早く帰りたいんや」
母をせかせて・・・
そそくさと病室を出ようとする父。
家に着くなり・・・
「お~っ。やっぱり家はええなぁ~
」
を連発する父。
この一ヵ月間。一人でのんびり暮らしてた母。
また今日から・・・口うるさい父の世話が始まる・・・
「お母さんも、わしが退院してやれやれやろ・・・
豊橋まで通ってこなくていいからなぁ~
やっぱり家が一番やな。」
もう・・嬉しくて仕方がない様子・・・。子供か~
「何言ってるの
お父さん。
まだ入院してリハビリしっかりしとけばいいのに
早く退院したいって帰って来てるんだから
明日から、ビシバシ毎日お散歩連れて行くからねっ。
もう足が痛いからやめておくなんて言わせませんよっ。」
と母も負けちゃいない・・・。
弟に「母さん。病院行き過ぎだわ
そんな甘やかさんでもいいんだ。
一週間に一回いけばいいんだわ。
わざわざ電車で通わなくても・・・。」
って言われながらも
「でも、洗濯物もあるし・・・
お父さんも話し相手いないし寂しいだろうからさ・・・。」
って通い続け、私に
「貴女に電車の乗り方教えてもらったおかげで
もう簡単に行けるようになったし・・・市電もすぐ来るし
遠足みたいで楽しかったんだよ~」
なんて言うのね。
私自身、シングルになってしまったけど・・・
私の両親。ホントに仲が良く・・・
黙って聞いてると、まるで口喧嘩してる様な二人の会話ですが・・・。
お互いを思いあって素敵な夫婦だなって思います。
・・・って実の娘がこんなこと言うのなんですが・・・
父の膝の18針の縫った傷をみるとぞっとしますが・・・。
痛みから解放された父の笑顔をみると・・・
高齢であることだけで手術を諦めずに
手術を受けられて、今こうして無事退院出来たことを幸せに思います。
父の83歳からの、また生まれ変わった人生。
あと何年あるかわかりませんが・・・
思いっきり楽しんでもらいたいですね
しかし・・・。
家に帰ってすぐ母に・・・
「おい。お母さん。シクラメン枯れかかってるぞ」
と・・・チェックが入ってましたわ・・・