先日、久しぶりにお客様に紅茶を淹れる時間がありました。
それも、
ただ紅茶を淹れるだけではなく、
絵本に合わせた紅茶を淹れるワークショップ。
その一日を終えてから、
私の中でずっと気になっていることがあります。
実は少し前から、
Amebloのある過去記事が、
なぜか毎月のように目に入ってきていました。
「いいね」が月に3回くらいつくんです。
そのたびに通知が届いて、
「あ、またこの記事だ」と、
何度も私の目の前に現れていました。
その記事のタイトルは、
「覚書」。
何年か前、洗い物をしている最中に
不意にストンと言葉が降りてきて、
そのことを書いた記事でした。
そこには、こんなことを書いていました。
「紅茶を淹れるという行為は、
私にとって『祈りのツール』だったのだ」と。
当時、私は紅茶屋さんで、
お客様に紅茶を淹れていました。
目の前のお客様を想い、
場を整え、
湯を沸かし、
カップに紅茶を注ぐ。
言葉にしなくても、
私はお茶を通して
祈りを届けていたのだと。
そんなことに気づいた日の覚書でした。
この記事が、なぜか毎月のように
私の目の前に現れる。
「まただなぁ」くらいに思いながら、
そのたびに自分の書いた言葉を読み返していました。
そして今回。
まるでその記事に書いたことを、
今の私がもう一度体験するような一日がやってきました。
今回のワークショップでは、
絵本の世界に合わせて紅茶を選び、
その物語を感じながら、お客様に紅茶を淹れました。
久しぶりに、
「お客様に紅茶を淹れる」という時間。
やっぱり私は、
この時間が好きなんだなぁと思いました。
そして、
ワークショップを終えたあと、
一緒にこの場をつくってくださった方と
やり取りをしていました。
私は、
「大船に乗せてもらったような、
安心・安全なワクワクする航海に出たような感覚でした」
と伝えました。
久しぶりの紅茶の時間だったことも、
安心して任せられる方と一緒にできたことも、
全部ひっくるめて、
私は「乗せてもらった」という感覚だったんです。
ところが、返ってきた言葉を読んで、
私は思わず立ち止まりました。
「あなたという大海があったからこそ、
私も安心して自由に泳ぎまわれました」
……大海?
私は“大船に乗せてもらった”と思っていたのに、
相手から見えていた私は、
“大海”だった。
この言葉が、
なんだかものすごく心に残りました。
私は「誰かの船に乗せてもらった」と思っていたけれど、
もしかしたら私は、
誰かが安心して自由に泳げる場所を
自分の中にすでに持っていたのかもしれない。
そして、ふと。
あの「覚書」のことを思い出しました。
昔の私は、
紅茶を淹れることを
「祈りのツール」と書いていた。
目の前のお客様を想い、
場を整え、
湯を沸かし、
カップに紅茶を注ぐ。
今回も、私は同じことをしていた。
ただ、あの頃とは少し違う。
昔は「紅茶屋さん」として、
お客様に紅茶を淹れていた。
今は、
これまでの経験も、
人との出会いも、
自分が大切にしてきたことも、
全部持ったまま、
自分のつくりたい場で紅茶を淹れている。
もしかしたら、
昔の私が見つけてくれた
「紅茶=祈り」という感覚を、
今の私が、
もう一度受け取り直したのかもしれません。
つづく