前回、過去に起きたコト(結果として未来に起きるコト)の偶発性に対するバイアスについて書きました。これと関連して、何が起きるか分からない未来のリスクに対しての備えについて考えてみたいと思います。もちろん正解や公式があるわけではありませんし、個人から国家まで、様々なレベルがあることも確かですが、基本となる考え方は共通であると私は思っています。


まず、タレブがブラックスワンで提示したような文字通り予測不可能なひどいことに対しては、「備え」というものは存在しません。予測できないからこそ、ブラックスワンなのですから。これに必要なことは、備えではなく「覚悟」だと思います。企業にも個人にも、突如として予測できないようなことが起きます。いつでも起こり得ることを常に認識していることと、何かが起きたときに、それがどんなにひどいことであったとしても、逃げずに最善を尽くして最速のスピードで対応する「覚悟」が持てているかどうか。そこが重要だと思います。


タレブに習い、金融危機を例に挙げてみましょう。リーマンブラザーズの倒産を引き金に、これほど広い範囲で異常な経済状況が起きることは予測不可能です。この状況に対しては「備え」を議論することに意味はなく、むしろ覚悟をもっていかにスピーディーに対応できるかを考えられるか、が重要です。この点、今回の日本企業の対応は非常に速かったと思います。90年代のバブル崩壊の経験が多少は活きています。世界も日本の90年代の政策対応と起きたコトを研究し、対応に活かしたと思います。90年代の不況は、世界でも初めての経験ですし、相当な試行錯誤だったのもやむを得ないことだったと私は思っています。


次に、事象としては想定できるが、いつどの程度の規模で発生するか分からないことを考えてみましょう。この中には、自分に原因が全くないものと、一部でもあるものに分けて考えられます。


自分に原因が全くないもの、は発生した場合に起きる「状況」をどの程度イメージできるか、が鍵になります。例えば地震を例にとると、家屋が倒壊する、ライフラインが絶たれる、交通が麻痺する、数日経ってから外からの支援が来る、冬であれば極寒、夏であれば酷暑、その中でどう生活していくか。このイメージがかなりできれば、そのときに必要なモノやコトが想定できるはずです。


一部にでも自分に原因があるものはどうでしょうか。この場合は起きた場合の「状況」へのイメージと同様に、自分の何が原因になり得るのか、に対する洞察が重要になります。例を挙げれば、国家であれば他国との戦争、企業であれば大規模な情報漏えい、個人であれば失業などでしょうか。自(国/社/分)のふるまいや仕組み(システム)にどのような問題(穴)があるのか、という問題意識での検証を行います。そこから必要な備えが導かれてきます。


ところで、備えを「どの程度」行うのか。ここには、実際に定量的な計測や計算を行うことはできませんが、明確な考え方が存在します。それは「期待値」です。期待値は数学(確率論)で定義されるコンセプトですが、日常でも非常に有用な考え方なので、後日改めて詳しく説明します。


誤解を恐れず簡単に言えば、ここで言う期待値とは


「期待値」=「発生した場合の損害の大きさ」×「発生確率」です。


繰り返しになりますが、発生した場合の損害の大きさも、発生確率も正確に把握することはできません。できませんが、自分なりに見積もることはできます。従って、期待値(つまり備えるに値するひどいコトの深刻度を表します)、のレベルによって、備えにかけるべきコストが決まってきます。


期待値よりも備えのコスト(ここでのコストは金銭だけでなく、全ての費用が含まれます)が上回る場合には、むしろその備えは過剰なのではないかと検証します。より低コストで大きな期待値のリスクに備えられるように、常により良い方法を模索していきます。


特に企業経営においては無数とも言えるリスクが存在しますが、常にそれに対する備えの必要性と方法、妥当な水準を模索し続けています。大きな期待値のリスクに対して脆弱では、会社は持続的になりませんし、逆に過剰な備えでも失敗します。どこが適切な水準なのかを考え続ける日々なのです。


経営上のリスクへの備えという観点から、もう一つ重要な論点が存在します。
それは次回にしましょう。