もう故人となっていますが、私の祖父からは時々昔の話を聞かせてもらっていました。
平和な現代に生まれ育った少年時代の私にとっては、聞く話聞く話刺激に満ち溢れていましたし、大きな影響を受けたように思います。


祖父は中学を卒業して地元三重から大阪に出て(戦前の話)から50年に渡り、株ビジネス一筋に生きた人で、最終的には東京証券(現東海東京証券)の社長/会長を勤め、引退した後は、囲碁に興じた穏やかな生活を送りました。二度の激烈な戦争体験(インパール作戦の生き残り)も含め、正に波乱の人生であったことと思います。


祖父で忘れられないのが、バブル経済真っ盛りの頃のことです。ぐんぐん値上がりする「株価」と「地価」に対して、一般的には日本の経済力はとうとう世界一になったとの認識と、「もう世界に学ぶことはなくなった」という経済人の発言に代表されるような勘違いが広く浸透していました。


こういう状況の中で祖父は、「今の、株価と地価だけが他の物価に比べて異常に高い状況は明らかにおかしい。私のこれまでの相場観では到底説明のつかないものだ。この相場は必ず大暴落して自殺者も絶対に出るはずだ。それを見届けるまでは死ぬに死ねない。」と明言していました。そして更には、大好きだった株を今後一切やめると宣言し、持ち株を全て売却してしまったのです。


当時高校生だった私は経済や社会に対して物心付き始めた頃で、世の中で説明される「常識」に照らし合わせて、「じいちゃん、時代が違うよ。経済がそれだけ強くなってきているということだよ。多少の値下がりは当然あっても、暴落ということは起きない」と、言わないまでも心の底からそう思っていました。忘れられないのは、明らかに祖父が「変なことを言っている人」に見えた自分の感覚です。それが間違いなく社会の常識でしたし、周囲の大人たちも、「古い感覚の人が極端なことを言っている」という受け止め方でした。


その後の展開は書くまでもありませんが、今にして強く感じることは二つあります。
・目の前で「起きていること」を的確に認識する、文字通り「独自の」視座と座標軸を獲得することは、果てしなく長く地道な経験と思索の蓄積の上にしか成り立たない。
・自分の考えに対する信念とそれに基づき行動することの難しさ。そしてそれを端から見たときに感じる「異常さ」。