限定記事ではお伝えしてましたが、、

シンママになりました~くるんグー


あれからすぐ実家に逃げてみたものの、、子供達は荒れ放題ぽけ
、、いや、実家を荒らし放題。
色んなものを壊しまくり。


遂に母の逆鱗にも触れ、半ば追い出されたのもあり、僅かな望みをかけて戻りました。


電気・ガスは止まっている最悪な状態。
でも、
長い人生考えたら苦しいのは僅か!!
そんな思いでした。


仕事が決まらない。
焦るなんてもんじゃない。


でもその重圧に負けて、彼は出ていきました。


また女か。


私は無事仕事が決まり、やっと出会えた良い職場!!
今までとはうって変わり、アパレル事務kyun


最後は母からの言葉で決心がつきました。

「今までよく頑張ったよ。 それにこのままじゃ、女として悔しいじゃないか? HaNaならやれる。」


あまり私を褒めてくれたことがない母から言われ、ハッとしました。


はい、悔しいです!!
……何よりもどうにもできなかった自分に。


7年前の恋する暴走列車はやがて「出産」という2駅で失速、鈍行になり、そして何度かの点検を経て、ゆっくりと止まりました。


もうこんな男は要らん!


決心がついたら、即提出!!
さすがに子供達は連れていきたくなかったので、友人に預けて。。


すんごく手続きに時間がかかってしまい、、結婚する時は紙切れ一枚なのに~ぽけ


子供達の笑い声を肴に、友人にはシングル記念?一杯だけ付き合ってもらっちゃいましたにこ


周りからは「(決めてから手続きまで)見事なまでに鮮やか!!」とお褒めの言葉?を頂き、「よく頑張ったよ」とか「おめでとう」など、驚くほど賞賛のお言葉ばかり。


職場もお友達も周りは人生の先輩ばかり。
温かいお言葉に励まされる毎日です。


人はひとりでは生きていけない。
まさにその通り!!
そう、ただ彼は渡り鳥だっただけさ。




最重要事項、、子供達にもそれぞれに伝えました。


最後の方まで「帰ってくる」と信じていた海kun。
一番私のそばで苦しみも見てきた海kun。
一度戻ったことで期待させてしまい、傷付けてしまった、、。


でも薄々わかっていたのかも知れません。
冷静に話を聞いてくれました。


「海kun達はパパに捨てられちゃったの?」


……(°Д°;≡°Д°;)


「ち……違うよ!! ただパパは一人の時間が欲しくなっただけ。 でももう戻らない。 期待させてごめんね。 ママがいるから大丈夫」


黙って頷いてくれ、
「新しいパパできる?」


(  ゚ ▽ ゚ ;)


ん~どうだろ?(笑)
……と誤魔化してみたけど、、海kunと空kunていう永遠の恋人がいれば、ママは満足さkyun


そして空kunは、「パパどこ行ったの~?」と毎日聞いてきていたので、

「どっか知らないところに行っちゃった~。 だからもう会えないんだ。」

と伝えました。


そして前職を辞める際、皆から頂いたプレゼントを見せ、

「パパがいなくても3人で頑張ってね」って貰ったのあげあげ

と伝えると、途端に笑顔になってくれました。



実家には帰らず、自宅も保育園もそのままribon
近くに親・兄弟が居ない不安は残るものの、
私も新しい職場でスタートしたばかり。
なるべく子供達の環境を変えないこと、それを今は優先しました。




私達は周りに助けられている。
恵まれている。


晴れ時々くもりの私の心天気。
いつも周りが晴れにしてくれる。


私も皆の心を晴れにしたい。



子供達よ、
皆に助けられていること、
感謝の気持ちを忘れないでおいしっ


だからパパのことも恨まないで。
ママも恨まない……ようにする。
あなたたちに出逢わせてくれた人だから。



それから、、実家で飼っていたエルが先日旅立ちました。


お盆で会えただけ良かった。


子供達と一緒にアイス食べてたのが可愛かったkyun


まるで、子供達を孫のように見ていたのかも知れない。


17年間、本当にありがとうkyun


もう泣かないよ。


子供達に命の大切さを教えてくれて、ありがとう\(^o^)/





色々怒濤の毎日だった8月~(;´Д`)ノ


さぁ、新たな出発ribon



明日も天気にな~れ☆彡




Android携帯からの投稿
11月17日夜、



祖母が、祖父の元へと旅立ちました。






最期は苦しむことなく、



『天寿を全うする』



まさにその言葉通りの最期でした。






90歳という大往生。






祖父は伯父が8歳、父が3歳の時に旅立ちました。



それから約60年。



孫は6人。
曾孫は13人になりました。






私が祖母の元へ行くと、



眠っているかのようでした。






伯父宅へ来た時、



父が手を握ると、



手が温かったそうです。



これは
『悔いなく、思い残すことがない』
からだと言われているそうです。





点滴の後が痛々しく残るその手は、とっても冷たかったけど、



私のことをいつも撫でてくれたことを思い出しました。






グループホーム、老人ホームと、
伯父宅から出て約10年。



おばあちゃん、お帰りなさい。



亡くなった祖母に私が掛けた最初の言葉でした。






そして、祖母はやーっと祖父の元へ行けるんだ、



そう思ったら哀しみよりも嬉しさでいっぱいになりました。






海kunにもそう説明しました。



海kunは自ら、
「大きいばぁばの手を握りたい」
と私たちを驚かせ、



そして優しく手を握ってくれました。






通夜の日はあんなに土砂降りだったのに、



私たちの複雑な思いを現すように降ったり止んだり……




葬儀当日の朝日は、
かつてないくらい、とってもきれいで、



そして必ず毎年、祖母が来てくれた運動会のように、



晴れ渡っていた空、
眩し過ぎるほどでした。






おばあちゃん、泣かないって決めていたのに、



ごめんね。



まるで皆に笑いかけているかのような遺影を見ていたら、



いつも、いつも優しかったおばあちゃんを思い出して、



泣かずにはいられなかったよ。






おばあちゃん、いっぱい心配かけてごめんね。



おばあちゃん、ありがとうニコニコ
本当にありがとうニコニコ



おばあちゃん、おじいちゃんと、
いーっぱいデートしてね(*´艸`*)


おばあちゃん、またねニコニコ






皆さま、ありがとうございましたm(__)m