新しい説明施設は見どころが多い。その先、丘の上の遺構に進むと、ここでも建築物の想像図が新たに設けられている。


ひとつに決めずに可能性を複数提示しているのが良い。これは1号遺構。

2号遺構
17号遺構、仏塔型奉納物が出ている。

3号遺構への階段、修復はそう大きくは進めていない。

3号遺構
3号遺構はかなり大きな建物

東側が正面か

3号4号5号遺構想像図、右奥が3号の正面階段

ヴィシュヌ像(オリジナルはバンコク国立博物館)の置かれていた6号遺構。想像図無し。

7号遺構、想像図無し。

丘の先端部、階段から20号遺構を見る。

20号遺構は複合建築で、右奥の階段で7号遺構に。

21号遺構、説明板には時期の異なる2つの建築層が在ったとしている。

先端部に在る案内板はタイ語のみ。

修復には時間をかけて慎重に進めているようで好感が持てる。20世紀の修復は思い込みで成されたものが多々ある。(19世紀から20世紀初頭はもっと非道い状態で、例えばクレタ島のクノッソス宮殿などコンクリートで創作している)
また、出土品から、タクアパとの関連や、パッタニーのヤラン遺跡との類似をしっかり提示している。

東南アジア史を描き直す具体的な可能性を見せている。