2022年の年末にペナン島の少し北、ルンバブジャン遺跡(7世紀の古代クダ王国)を二十数年ぶりに再訪した際、この地区で紀元前8世紀の製鉄遺構が出土したという展示が新しいルンバブジャン博物館に有った。

本当かと半信半疑だったが、クリスマスから新年にかかる、移動が難しいマレーシアのホリデーシーズン(当時のブログ有り)で、製鉄遺構の遺跡を見ないまま、どうにかベトンからタイに抜けた。

2024年の今年、ヒッタイトの遺跡を訪ねてアナトリア中部を周って、『世界で最初に製鉄技術を持って、その情報を紀元前1200年のカタストロフまで独占した』とされるヒッタイトではあるが、出土品の中に多くの鉄器は認められず、ハットゥシャを含めヒッタイトの遺跡で鉄滓すら見当たらない状態で、肩透かしを喰らったような感覚があった。

東地中海世界では、確かに紀元前1200年のカタストロフ以降に、鉄器製造と使用が拡散しては居るので、ヒッタイト帝国の滅亡に拠って製鉄技術が地域全体に広まったとも言えそうでは有るが。

一方で紀元前1200年のカタストロフ以降、現在の世界史(ギリシア本土に重点を置いた視点)では暗黒期とされ、紀元前8世紀頃から黒絵式陶器などに代表されるギリシア文明の再興と発展が有ったように語られる。

この部分については、東地中海地域ではネオヒッタイトと言われるシリア北部のカルケミシュとか、キプロス島などの文化は存在していて、暗黒では無い。


そんな中で、果して紀元前8世紀にマレー半島の西岸で製鉄が行われていたとしたらどういう事なのか。製鉄遺構が出土したスンガイバトゥ遺跡を見に行く事にした。

東南アジアやインドは5月からは雨季に入り、特に西海岸側は雨量が多くなるが、オフシーズンの利点が無いわけではない。


関西空港から香港乗り継ぎでペナン空港に。18時45分到着予定が、香港での機材変更で1時間半の遅れ。ペナンの入国審査は混んでいて、到着ロビーに出たのは21時を過ぎている。

タクシーでスンガイプタニの安ホテルまで140リンギ(4500円ぐらい)、ホテルに着いたのは22時30分ぐらい、もう町中の店は閉まっているが、セブンイレブンの在る建物の上のホテルにしたのが良い考え。


朝はインド系のティーショップで、ここはチャパティとティー。

スンガイバトゥはスンガイプタニの街からジュライ山のルンバブジャンに向かって、メルボク川を渡った辺り。

道路の両側に遺構が分布している。水たまりになっているところは古代の川が入り込んだ湾で、港と桟橋の遺構が出土している。

ルンバブジャン博物館で展示している想像復元図

ルンバブジャン博物館の製鉄工程想像復元図

スンガイバトゥに置いてあった製鉄窯、移動の準備なのかラップで巻かれていた。

近隣で数カ所製鉄窯の出土が在る

ここで鉄滓が出土していて、製鉄が行われたと見られる。

鉄片も出土

炭素年代測定でBC788の数字が出たとしている。

結構広い範囲で発掘調査されていて、建築物遺構の煉瓦も多い。
遺構は、製鉄跡、建築物(倉庫)遺構、桟橋、それに宗教的建築と推定されるものがひとつ出ている。

かなり大きな建築物、おそらく倉庫があったかと考えられる。

これが宗教的建築物と推定されるもの。基壇の円形状の遺構はAD110の測定値で、その上の四角い構造物は5世紀の仏教寺院と推定されているらしい(現場に居た遺跡案内スタッフの話、根拠は確認できず)。

今も水が池のように溜まっていて、港と桟橋が在ったと言われれば、そう見える。

煉瓦敷きの床を持った建築物か

右上の箱に、この地域で出る鉄鉱石。後ろの図はこの地域の地質図。ジュライ山も鉄鉱石の山で、見本の鉱石を持ってみると非常に重い。鉄の含有量が大きい良質な鉄鉱石。

自然条件として、含有量の大きい鉄鉱石、マングローブを焼いた炭、燃料として豊富な木材で、1200度の高温を維持すると鉄地金が溶け出して来る。
現在の説明では、鉄地金を生産し交易するセンターであったような理解。

やはり年代測定の再検証か複数例の提示など、さらなる研究の深化が待たれる。
また、この遺構は如何なる集団、古マレー人か別の人々か、製鉄技術は自然発生したのか伝来したのか、など疑問点は多い。

とは言え、確かに製鉄は行われていて、非常に重要な遺構であるのは間違いない。