久しぶりに晴天、この方向にクズルウルマク川が弧を描くように流れている平野。

カマンに向かう道路、奥の山並みのあたりが現在のカマンの街で、マウンド状のカレホユック遺跡は、街の手前数キロ地点。この道路の左側に現れる。

道路に表示が在ったところから横道に進むと、すぐ横にカレホユックのマウンドが在るがそこは発掘現場でフェンスに囲われている。
博物館の表示でかなり進んだ山裾に、マウンドを模したカマンカレホユック考古学博物館と、その敷地に三笠宮記念日本庭園が在った。

展示はカレホユックの発掘成果をメインに、ヤスホユック(カレホユックの東方40キロ、D260の北側)とビュクルカレ(カレホユックの北西46キロ、D260がクズルウルマク川を渡る地点)の展示も少し有る。
カレホユックのマウンドの低い層は青銅器時代前期のBC2300からBC1950。
この博物館の和文は当然ながら研究所レベル。

カレホユックの第III層はヒッタイトの各時代に対応。
気になるのは、カニシュ遺構でもそうだったが、アッシリア交易植民市場時代からヒッタイトの初期に移る時期に大規模の火災跡が認められていること。
ヒッタイトの創建期にはかなりの戦乱か混乱が有ったのか?

ヒッタイト時代の上の第II層は、BC1200後からアレクサンドロスが登場するBC334までの鉄器時代としている。興味深いのは、一般に暗黒時代と言われるヒッタイト崩壊からフリギアのミダス王の間の層に、東地中海やキプロスとの関連を示す出土品が認められる点。
2023年のキプロスやクレタで感じた、東地中海地域に対する、ギリシア側に寄った視線のバイアスを是正するポイントだと思う。BC7世紀頃からは、ギリシア本土の諸都市の興隆と陶器の生産様式の変遷が辿れるようになるが、小アジア(アナトリア)やエーゲ海島嶼部、クレタ、キプロス、東地中海では、BC1200のカタストロフ後も一定の文化の連続や展開が在ったと考えるのが妥当だろう。

暗黒時代とされる時期の出土品

ヒッタイト以前の青銅器時代前期層からの鉄製品の出土も有り、カマンカレホユック遺跡の発掘には、既存の歴史を再検証・再構成する契機が多いと見える。

ヤスホユックの展示

ヤスホユックでは青銅器時代前期(C14測定によりBC2260-2135)の王宮と見られる大きな遺構が出土。

ビュクルカレの展示、アッシリア交易植民都市時代からヒッタイト時代の都市遺構

ビュクルカレの空中写真

三笠宮記念庭園

綺麗に管理されている

鯉も