ヒッタイト関連であまり聞かなかったシャピヌヴァヘ。若手研究者の山本孟君のYouTubeでも、検索する限り、触れられていない様子。


チョルムを南に出て、チョルム街道を南下。小麦畑が続くが、散水管を備えた畑も多い。散水管はスングルル-ボアズカレ間でも、アラジャホユック周辺にも見られた。ここ数日雲が多く、雨が通ることもしばしばだが、本質的には天水の供給は過小気味の土地なのか。

30分ほど走ると前方に尾根が見え、頂上付近は雲に近い。道路はアマスヤ方面と分岐して、チョルム-オルタキョイ街道に進む。実際、登りに掛かると雲の中で雨が降っている。

尾根筋を抜けて降りかけるあたりに、オルタキョイの看板と、谷の向こうに村。

チョルムからは60キロ弱、1時間。オルタキョイ村に入って役場が在る小広場に村人が二人居たので、シャピヌヴァはこの道でいいのか尋ねると、小広場の反対側からやって来た村人が、「乗せて行ってくれ」と言う。初めに声をかけた村人も、あとから来た村人を乗せていけと言う。シャピヌヴァの近所に家でも有るのかと、ひとりの村人を乗せて進むと、降って登る小さい谷状の地形の上にフェンスで囲まれた遺跡地区。
乗せて来た村人が鍵を出して、駐車スペースのフェンスを開く。なんと彼が遺跡の管理人だった。広場で出会わなければ、また村に戻る羽目になるところ。
入場料とかは無し。

入り口の案内板。1990年から発掘が行なわれ、楔形文字粘土版の出土から、当時の名称はSapinuvaで、ヒッタイトの王トゥドハリヤ(?新王国中興のトゥドハリヤ?)と女王タドゥへパ2世が居住した王都であったとしている。この都市は『聖なる都』と認識されていて、フリ(或いはフルリ、ミタンニ王国が有力だった)の聖水純化儀礼が行なわれ、その聖水がヒッタイトの各都市で用いられたよう。
ヒッタイトに於ける宗教儀礼で、フルリ化が進むのがトゥドハリヤ1世時代(紀元前15世紀後半)からと言われるから、それで話の筋は通っている。

神殿跡、砂岩なのか赤味の有る石組みで、しっかり積まれた印象。ハットゥシャの建築とは味わいが違う。


建物Bは屋根が掛けられている(煉瓦とトタン屋根のチープな造り、ギョベクリテペとかゼウグマ遺構とかの豪華な現代保存技術とは雲泥の差)。

貯蔵庫か、59の瓶が置かれて居た。


その先にもトタン屋根の発掘現場

建物Dにはレリーフが遺った石柱

トゥドハリヤ2世の姿で、この建物は宗教儀礼に使われたとの見解。


他に、
瓶の並ぶ細長い遺構とか。

入り口に戻って来て、近くの管理人小屋

村に戻りかける道、左手の丘の上にもトタン屋根の現場。こちらは入れない。

未だ詳細は不明だが、大きく2箇所の遺構群が認められ、全体の広がりは9平方キロ、ハットゥシャとは違うテースト。
ヒッタイト中興のトゥドハリヤであれば、ハットゥシャの現在の遺構よりも古く、宗教儀礼のフリ(フルリ)化もポイントになる興味深い遺構。

研究の進展と資金を投じた遺跡整備が望まれる。

オルタキョイ村に戻っておっさんの集まった店で、チャイ。天気も雲が切れて、陽が射してきた。